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日本文学作品读后感

日本文学作品读后感「人は身に病があると、この病がなかったらと思う。

その日その日の食がないと、食べて行かれたらと思う。

万一の時に備える蓄えがないと、少しでも蓄えがあったらと思う。

蓄えがあっても、またその蓄えがもっと多かったらと思う。

」『高瀬舟』を読み終わり、一番印象的な部分はこれである。

この描写によって、作者は人間の欲望というものを生き生きと、徹底的に表してみせたからだ。

私は思わず自分のことを振り返ってみた。

毎年五月になると、住まいの近くにある湖のハスは盛りとなる。

そこを通るたびに、「美しいなぁ」と思っていながら、ちらりと見ただけでまた急いでいく。

しかし、知らず知らずのうちに増水期が訪れ、水面上にあった何もかもが水没してしまい、あっというまにハスが消えてしまう気がする。

すると、かつての美しさの感嘆が、残念の気持ちに変わってしまう。

「早くその美しさを味わえばよかったのに」と思い、落ち込んでやまない。

私はハスがずっとこのままで咲いていく、あるいは、せめてもう少し私を待ってくれるように希望していたのだ。

それに、もうハスが戻れないことを知っていても、自分の気持ちが抑えられない。

これは、踏み止ることを知らないということだ。

なるほど、あまりの欲望に伴い、後悔も常についてくる。

もっと考えてみれば、後悔どころか、嫉妬?苦痛?絶望などのマイナスな感情ももたらされ、甚だしきに至っては戦争も勃発してしまう。

欲望は人間の生れつきであろうか、この世の中の人々は、誰でも思わず何かを追い求めている。

確かに、ほしいものを適切に追い求めるのは生活の向上心と言え、当たり前とされているが、欲望の渦に巻き込まれ、一生それに駆り立てられて行くのは人間の悲劇であると思う。

踏み止ることが分かり、現在持っているものを大切にし、幸せを味わうことこそ、人生の大事なことではないかと思っている。

作者自身が「失業したら悪事を働くしかない」という下人の発想に近いものを持って描いたのではないかと私には感じられる。

つまり、下人のような状況に置かれた場合は、誰もが「飢え死に」か「悪」かというような命題にぶつかり、誰もが下人のような悩み方をするものだというように、芥川は下人の迷いを一般化して捉えていたのではないかと思われる。

芥川はここでの下人の迷いを下人に特有の個性を反映したものとしてではなく、人類の普遍的な命題として描こうとしているという印象を受ける。

周囲の事情というのは、つまり相手が簡単に盗みのできる老婆であること、周囲に人がおらず失敗する可能性がないこと、老婆自身が「悪事も仕方がない」と言っていることから、下人の盗みを老婆の理屈によって正当化できること、等々である。

このような状況が少しでも変化すると「飢え死にしないためには悪事も仕方がない」という理屈はたちまち成り立たなくなる。

しかし『羅生門』に描かれる小さな、閉鎖された世界には現実社会の要素が入り込む可能性はなく、状況が変化することはあり得ない。

そういう意味で、「悪事も仕方がない」という下人の結論は、この世界においては必然的な流れになっていると同時に、この閉鎖された世界でしか成り立たない理屈であると思う。

「飢え死にしないためには盗人になるしかない」とか「飢え死にしないためだから悪事も仕方がない」という単純な理屈は、現実社会の複雑な状況の中ではたちまち維持できなくなる。

これを無理に維持させようとすれば、現実との妙な衝突が生じるだろう。

この単純な理屈を成り立たせなくするような現実の様々な要素をすべて排除した、小さな、特殊な世界を描いたのが『羅生門』である。

高瀬舟一つは財産と云ふものの觀念である。

錢を持つたことのない人の錢を持つた喜は、錢の多少には關せない。

人の欲には限がないから、錢を持つて見ると、いくらあればよいといふ限界は見出されないのである。

二百文を財産として喜んだのが面白い。

今一つは死に掛かつてゐて死なれずに苦んでゐる人を、死なせて遣ると云ふ事である。

人を死なせて遣れば、即ち殺すと云ふことになる。

どんな場合にも人を殺してはならない。

翁草にも、教のない民だから、惡意がないのに人殺しになつたと云ふやうな、批評の詞があつたやうに記憶する。

しかしこれはさう容易に杓子定木で決してしまはれる問題ではない。

こゝに病人があつて死に瀕して苦んでゐる。

それを救ふ手段は全くない。

傍からその苦むのを見てゐる人はどう思ふであらうか。

縱令教のある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦みを長くさせて置かずに、早く死なせて遣りたいと云ふ情は必ず起る。

こゝに麻醉藥を與へて好いか惡いかと云ふ疑が生ずるのである。

其藥は致死量でないにしても、藥を與へれば、多少死期を早くするかも知れない。

それゆゑ遣らずに置いて苦ませてゐなくてはならない。

從來の道徳は苦ませて置けと命じてゐる。

しかし醫學社會には、これを非とする論がある。

即ち死に瀕して苦むものがあつたら、樂に死なせて、其苦を救つて遣るが好いと云ふのである。

これをユウタナジイといふ。

樂に死なせると云ふ意味である。

高瀬舟の罪人は、丁度それと同じ場合にゐたやうに思はれる。

私にはそれがひどく面白い。

かう思つて私は「高瀬舟」と云ふ話を書いた。

中央公論で公にしたのがそれである。

森鴎外の『高瀬舟』この小説は「兄弟の感情は深い」、「足ることを知れば常に楽しい」、「安楽死」という三つの主題をめぐり、歴史人物に頼って作者の思想や感情を表現する。

安楽死について、自分を解脱させるためと言うより、他人を解脱させるため、あるいは家族を解脱させるためと言うほうがいいと思う。

すなわち、これは患者が世俗の生活を超越するために、家族の負担を軽くするために、積極的な意識に従って決定することだ。

喜助と弟の二人がご飯さえも食べられなかった。

それに、弟が重い病気にかかって、兄の喜助の負担はますます重くなった。

兄を巻き添えしないために、強い意志で運命と戦って死亡を選んだ。

喜助の弟の考え方はまったく社会の基本の倫理道徳の要求に即して、人間が文明的な生活と文明的な死亡のような社会へ移り変わるということを表す。

だから、社会学の立場から見ると、安楽死は合理だと思う。

わが国の刑法によって、犯罪の本質は社会に危害を引き起こすということだ。

しかし、安楽死は社会の危害性を備えていなくて、人道的な行為に属する。

しかも、人間は生と死を選ぶ権利を持っている。

喜助も彼の弟も当時の封建社会の最下層の代表として、封建制度の圧迫を被って、肉体と精神が深く傷つけられている。

彼らは生が死よりもっと苦しいと思うのは当たり前だろう。

喜助の弟は本当の自由を実現するために、苦から解脱されるように、死亡を選んだ。

これは人間の選択権にぴったり合うと思う。

この小説『高瀬舟』を読んだ後、筆者は安楽死の合理性がはっきりわかってきて、賛成する。

安楽死は人間の生死にかかわる問題だけでなく、道徳、倫理、法律などの問題に及んでいるものであろう。

森鴎外の作品は倫理道徳観を重視するということが思われている。

この小説『高瀬舟』の中には、作者はたくさんの細かいところを詳しく描いて、庄兵衛の人物を通して、安楽死についての疑問を打ち出す。

今になっても、喜助の犯罪行為が相変わらず人々に論議されている。

筆者は安楽死の本質、概念及び特徴の調べによって、『高瀬舟』の中の「安楽死」に賛成する観点を明らかに論述してみた。

『高瀬舟』を読んだ後、人間性についても、安楽死についても、思わず深く考えてくる。

いわゆる「安楽死」の問題をテーマにした作品だ。

医療技術の進歩によって、患者の死期を極限まで延ばすことが可能となり?ときには植物人間として生き長らえることもできるようになった今の時代?誰もが直面しかねない大きな難しい問題だ?しかし、この作品が書かれた時代に「安楽死」が社会問題として広く認識されていたとは思えず?かなりセンセーショナルな作品だったのではないだろうか。

あるいは、当時の多くの人にはピンと来なかったかもしれない。

「安楽死」の典型例は?不治の病にもだえ苦しむ肉親の姿にいたたまれず、懇願に応えてやむなく命を絶つというものだろう。

わが国の裁判では、これまで無罪とされた「安楽死」の例はない。

最近の判例では、安楽死が許される場合の4つの要件が示されている?第一に患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいること、第二に患者の死が避けられずその末期がせまっていること、第三に患者の肉体的苦痛を除去?緩和するために方法を尽くし他に手段がないこと、そして第四に生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があることとされている。

これらの要件のうち、どれか一つ欠いても安楽死とは認められない。

しかし、自分の肉親が激しい苦痛にもだえ苦しむ姿を目の当たりにして、冷静でいられる人間は希有だろう。

むしろ患者以上の苦悶を味わい、うろたえるのではないか。

そうした場合に?いちいち4つの要件を満たしているかどうかなどと考えて安楽死を施すなどできるわけがない。

そういうことを慮ってか、当該裁判所も「これらの要件について、安楽死が許容されるための現段階における一考察である」とし、「将来の状況を見通しつつ確立された普遍のものとしての安楽死の許容要件を示すことは困難である」とのコメントを残している?人間の心と行動を単純に類型化することの難しさの所以だろう。

ところで、弟殺しの罪人?喜助に対する罪状認否と量刑はいかなる過程をたどってなされたのか。

詳しくは書かれていないが?「高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、おもわぬ科を犯した人であった。

ありふれた例をあげてみれば、当時相対死といった情死をはかって、相手の女を殺して、自分だけ生き残った男というような類である」との記述から?喜助は罪一等減ぜられた気配がある?喜助のとった行動と、自殺を図って息も絶え絶えとなった弟の状態をつぶさに読んでいくと?何と前掲の裁判所が示した4つの要件をみごとにクリアしている。

そうして作者は?高瀬舟に同乗した同心の庄衛兵に「オオトリテエにしたがうほかない」と言わしめ、きわめて高度な問題提起をしている。

江戸時代が過ぎて間もないあの時代にだ。

まことに驚くほかない? 夏目漱石の『坊っちゃん』作者自身の松山中学時代の体験をもとに書かれたという。

全篇を通して一人称で書かれていることもあり?氏名すらうかがい知ることのできない「坊っちゃん」。

そして、これが江戸っ子の気風というのか、下女の清が「真っすぐで好いご気性だ」と言うとおり、竹を割ったような性格と徹底的な無欲恬淡さには驚かされる?一般には、痛快な正義漢の活躍として評価されるものの?一方ではあまりの傍若無人、直情径行、思慮や情愛のなさに、暗鬱な思いがしないではない?とくに親子の間、そして兄弟間の情愛などはみじんも感じられず、坊っちゃんの性格がああいうふうだったからそうなったのか、家族間がそうだったからああなったのかは分からないが、とても寒々とした思いがする。

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