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从寿司的变化看日本文化的特点

从寿司的变化看日本文化的特点学生姓名刘菁班级日语0601 指导教师王宝平摘要:制作寿司的主要材料——大米和醋,本来是从中国经由朝鲜半岛传入日本的。

可是为什么寿司不是作为中国的,而是日本的传统食物流行于中国甚至全世界呢。

笔者带着这样的疑问开始了对寿司历史的研究。

原本的所谓寿司只作为鱼的保存食物而已,其中的米饭是扔掉的。

熟寿司由东南亚传到中国,再通过朝鲜半岛传入日本之后,迎合了日本人的生活习惯,产生了一系列变化之后才形成了今天我们常吃的寿司。

虽然看似是小小的寿司,实际上是在深厚的历史及文化的基础上创造出来的。

本文主要研究寿司在日本的发展和变化,从而希望可以从这小小的艺术品中窥视出其中包含的日本文化。

关键词:熟寿司保存性食品现代寿司变化日本文化一、はじめに寿司といえば、日本の伝統的な食べ物と考える人が多いだろう。

しかし、お酢と稲作はもともと中国から伝来したものである。

にもかかわらず、寿司は中国の食べ物ではなく、日本の伝統的な食べ物として世界に広がっている。

同じ材料でも使用方法が違うためだろうか。

この「寿司」のルーツをたどっていくと朝鮮半島とのかかわりが出てくると知れば、驚かれる人多いだろう。

そして、私たち中国人にとって、寿司のイメージは握りずし、押しずし、巻きずし、稲荷ずし、散らしずしなどを指すようになった現在では、日本人でも同じように考える人が多いだろう。

だが、実際には、いま、私たちがよく食べる新鮮な魚介類を材料とする江戸前の握りずし類が一般化したのは、ごく近年のことである。

材料の冷蔵・冷凍、流通手段の発達が普及に大きく貢献した。

それまでは、時間をかけて熟成させた、保存性のある「馴れずし」や「飯ずし」の類が、寿司の主流であった。

酸味がこれらの寿司の特徴でもある。

今も日本の各地で、これらの寿司は食べられている。

寿司は古くから保存食として食べられていたのだが、、最近になって大きな変化が起こったのだ。

同じ寿司でも、日本の各地の郷土料理として、多様な寿司が存在している。

また、現代では、海外に日本人がびっくりするような、日本にはない寿司が食べられている。

本稿は、寿司に関する多くの資料に基づいて、寿司の起源と発展を論じ、さらに、中国の食文化とも比較することにより、小さな寿司から、日本文化の特長を発見した。

この特長は、中国人、ひいては世界の人たちが見習うべきことだと思う。

二、馴れずしの歴史(一)ルーツは東南アジア寿司のルーツは、東南アジアの原住民が、塩漬けにした川魚を炊いた米の中に漬け込んで自然発酵させた「馴れずし」だといわれている。

淡水産の魚であるフナに塩をしたのち、飯と一緒に木製の桶に漬けこむのだ。

桶の底に飯を敷き詰め、そのうえにフナを並べ、さらにそのうえに飯をのせ、フナを並べる、というように飯とフナを交互にサンドイッチ状に詰め、内蓋をして、その上から重石をのせて数ヶ月保存する。

すると、飯が乳酸発酵をし、すっぱくなる。

乳酸の作用によってほかの腐敗菌の繁殖が妨げられるので、魚肉が腐敗することはなく、長期間保存可能な「すっぱい魚」になる。

このことから、寿司の語源は「酸し」であるとの説もある。

見た目も味も現在の握り寿司とはかけ離れた食べものだが、今でも東南アジアやタイ、台湾などに同じような馴れずしがある。

日本でも、それに近いものとして、琵琶湖周辺に滋賀県近江のフナ寿司がある。

今の寿司とのいちばんの違いは、米は発酵させるためのもので食用ではないことだ。

米は捨てて、魚だけスライスして生のまま食べる。

酸味のほかにチーズのような独特の臭気があるので嫌う人も多いが、食べ慣れた人にとっては酒のさかなに最高の食品だとされている。

(二)中国の馴れずし篠田の考証によれば①一世紀末から二世紀初頭に成立した辞書である『説文解字』②に現れるのが、中国文献に馴れずしが記録された最初である。

寿司の原形である馴れずしは、東南アジアから中国に伝わって後、中国に伝わって分化する。

「鮨」も「鮓」も川魚などの淡水魚の保存食を意味する中国の古い漢字だ。

中国北部では「鮨」、南部では「鮓」としてそれぞれ独自に発展してい①篠田統.寿司の本.東京:岩波現代文庫,2002.②段玉裁注本.説文解字.上海:上海古籍出版社.1981.く。

鮨は魚を塩漬けにして保存食にした魚の塩辛であるのに対して、鮓はアワやヒエや米などの穀物を炊いたり蒸したりしたもののなかに川魚を漬け込んで乳酸発酵させ、保存性を高めたもの、つまり魚の漬物とされている。

時代的には鮨のほうが少し古い。

もともと鮨と鮓は別の食べ物だったのが、ところが、宋の時代まで人々に好まれていた鮨あるいは鮓が、十三世紀、北方民族である元に征服されると跡形もなく消えてしまう。

現在にいたるまで、中国には鮨も鮓もまったく見当たらない。

しかし、この二つの寿司の原形とされるものが、稲作とともに海を渡って日本列島に持ち込まれたと考えられている。

一方、海を渡って日本に伝わった鮨と鮓は、ふたたび混合し、独自の発展を遂げることになる。

三、日本における寿司の発展(一)保存食から味わい重視へアジアの民族の中では、日本人はせっかちであるといわれるが、日本人の祖先もそうであったようだ。

奈良時代に歴史に登場した鮨・鮓は千年余りの間に劇的な変化を遂げることになる。

もともと魚の漬物であった寿司の、米と魚の意味合いが逆転し、米も食べるようになった。

そもそも米は乳酸発酵させるための材料として利用されたもので、ドロドロに溶けた米を食べることはなかった。

それがやがて漬け込みの期間を短くして、魚肉が生っぽいうちに食べるようになったのだ。

室町時代になると、漬け込む時間がさらに短くなり、米も食べるようになる。

保存食として生まれた寿司だが、寿司のもつ酸味が好まれるようになり、新しい味覚として受け入れられるようになったわけだ。

室町時代に「生なれ」③の寿司ができて以来、日本の寿司は独自の展開をすることになる。

生なれとは、魚と一緒に漬けた飯に酸味が出るか、出ないかのあたりで食用にするのであり、はやい場合は三~四日で食べられる。

生なれだと、魚だけでなく飯も食べることになり、寿司は主食と副食が合わさったスナック食品としての性格をもつことになった。

実は室町から安土桃山時代は、日本人の食生活が劇的に変化した時代でもあった。

料理法も蒸すから煮る、焼くに変わった。

「朝夕二食だったのが、一日三食、食べるようになった。

」④そして、この時代に酢も作られ始めた。

また、現在の関西寿司の主流である押し寿司の原形もこの頃にできたのではないかと考えられている。

寿司の米の割合が増え「飯寿司」と呼ばれる寿司が誕生し③篠田統.寿司の本.東京:岩波現代文庫,2002.④美しい日本の常識を再発見する会. 日本人は寿司のことを何も知らない.東京:学習研究所,2003.たのだ。

(二)握り寿司の誕生十五世紀ごろから、日本の寿司は独自の発展をし始める。

江戸=東京を起源とする握り寿司が全国制覇をしたのは、二十世紀になってからのことである。

特に、外食での米の使用が認められなかった戦中・戦後の食糧難時代の統制経済のもとで、現在の握り寿司全盛時代の基礎ができたのである。

その頃、寿司屋に米をもってゆき、加工賃を支払うと握りずし五個と巻きずし五切れを一人前として交換するという政令が施行された。

東京の寿司を基準に作られたこの法律のために、全国の寿司屋が握り寿司を作るようになったのである。

それでも十七世紀までは、酢で味付けした魚と飯に、二~三日間重石をしてつくっていた。

十八十九世紀になると、さらに簡単な作り方が流行するようになる。

酸味をつけるのは飯だけとなり、魚は生のまま使用するようになったのだ。

十八世紀末からは、酸っぱく味付けをした飯にワサビを塗った刺身をのせてつくる、握り寿司が好まれるようになったのである。

一方、魚を使用しない各種の寿司も考案された。

寿司飯に野菜や卵を混ぜて作ったバラずし、ノリで寿司飯と野菜を巻き込んだノリ巻きずし、油揚げを袋状にして寿司飯を詰めた稲荷ずしなどが生まれたのだ。

古代の保存食品は、インスタント食品に変化したのである。

寿司屋は客の顔をみてからつくりはじめ、一分もしないうちに寿司を供してくれる。

このような即席のスナック食は、人びとが忙しく働く都市の生活様式に合うものとして歓迎された。

十九世紀初頭の江戸の街には、一町内に一軒以上の寿司屋があったといわれる。

(三)江戸の早ずし握り寿司が全国に広まるきっかけになったのは、関東大震災と太平洋戦争だと考えられている。

大震災や戦争によって焼け野原となった東京を離れて、たくさんの寿司職人が故郷に帰るなど全国に散らばったのだ。

そして、職人たちは地元で寿司店を開くことになる。

そこで伝えられたのは江戸仕込みの握り寿司だった。

もちろん、もともと日本人には生魚を食べる習慣があり、江戸前の握り寿司を喜んで受け入れる素地はあったといえる。

さらに、寿司の広がりは国内だけにとどまらず世界へ向かう。

かつて日本が侵略し、植民地としていたアジアの国々に日本人が寿司を持ち込み、それが定着した。

また、海外に移住した日本人が集まって形成された日系人街には必ずといっていいほど寿司店ができ、そこに現地の人たちも集まり、寿司を楽しむようになった。

アメリカの西海岸の大都市には、「スシ・バー」と呼ばれる寿司店がたくさんある。

そして、ここ数年の大きな変化としてはパリやロンドンなどヨーロッパの大都市で、寿司が人気を博していることだ。

高級店あり、回転寿司あり、デリバリーや持ち帰り寿司も盛んで、寿司という食文化がすっかり定着している感がある。

四、寿司から見る日本食文化(一)日本食の伝統と変容食べ物の食べ方は、そこで暮らす人々の食の習慣によっていろいろと変化していくし、それがおもしろい。

中国の広東人は、なんでも食べられるものに変化させることができる自分たちの料理技術を誇って、「足の生えているもので食べられないのおは机だけであり、翼の生えているもので食べられないのは飛行機だけである」と豪語している。

中国人にとって、料理とは、そのままでは食べられないものを技術を加えることによって食べられるものに変化させることであるとか、料理とは自然には存在しない味を創造することである。

といった主張が強いようである。

それに対して、伝統的な日本の料理に関する思想では、食品に加えるべき技術は最小限にとどめ、なるべく自然に近い状態で食べるべきである、ということが強調される。

つまり、「料理をしないことこそ、料理の理想である」⑤というのだ。

そのような「料理をしない料理」の代表として刺し身がある。

刺身は生の魚肉を切ったものにワサビ醤油をつけて食べるだけのものであり、火熱をいっさい使用しない単純な料理である。

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