これからの日本語学の論文はじめに論文の書き方は、だれも教えてくれない。
論文の書き方を身につけようと思ったら、これまでに書かれたくさんの論文を読んで、それをまれしながら、自分で自然に身につけていくしか、今のところ方法がない。
しかし、昔書かれた有名な論文をお手本にして、それをそのまままれて書いても、いい論文が書けるとはかぎらない。
論文の書き方はどんどんかわってきているので、昔書かれた論文は、これから論文を書く人のいいお手本にはならないことが多いからである。
こらから書かれる論文は、これまでに書かれた論文とは、内容も書き方もかなり違ったものになっていくと思われる。
そこで、いま論文がどのようにかわっていこうとしているのかを、はじめに論文の内容について、「目的と読者に応じた内容に」、「言語使用の実態を解明する内容に」、「精密で実証的な内容に」という三つの観点から考える。
そのあと、論文の形式について、「情報化にふさわしい形式に」、「消費者の時代にふさわしい形式に」、「権利重視の時代にふさわしい形式に」という三つの観点からみていく。
1.目的と読者に応じた内容に日本語学の分野は、研究者の数も発表される論文の数も、急激に増えてきている。
そのため、論文を読むほうでも、発表される論文のほんの一部しか読むことができないという状況になってきいる。
こういう状況では、ひとつひとつの論文の個性をはっきりさせ、その論文を必要としている人だけに確実に読んでもらうような工夫が必要になる。
いってみれば、論文の目的や読者について的をしばった「ピンポイント論文」とでもいうべきものである。
これは、たとえていうと、雑誌の数が増え競争が激しくなってくると、新しく創刊される雑誌は、男性向けの料理雑誌とか女子中学生向けの占いの雑誌ように、目的や読者をしぼりこんだ専門雑誌が中心になってくるのと同じことである。
すでに研究者として名前が売れていて、この人の論文なら読んでみようかと広い範囲の人が思うような人、つまり名前が「ブランド」として確立している人の場合は、このようなことはあまり気にしなくてもいいし、事実、気にしていない人も多いと思う。
しかし、これから論文を書いていく若い人の場合は、ピンポイント論文でなければ、なかなか読んでもらえないし、認められないのである。
ピンポイント論文にするためには、まず自分の論文の位置づけをはっきりさせることが必要である。
たとえば、ある事項の記述を今までより精密にするものであるとか、これまで気づかれていない現象を材料にして、今までのこの理論の不備を指摘し、新しい理論を提案するものであるというような位置づけである。
できれば、どんな人がどういうふうにその論文を利用してくれるかも考えておきたい。
たとえば、フランス語の接続法の研究の参考になるはずだとか、ワープロのかな漢字変化の精度を高めるのに応用できるといったことである。
そして、そうした位置づけをもとに、どの雑誌に発表するのか、日本語で書くのか英語で書くのか、長さはどれぐらいにするのか、縦書きにするのか横書きにするのか、論文にもりこむ内容をどこまでにするのかといった戦略をたてることが必要である。
そのうえで、この論文のどの部分で読者をうならせたいのか、もしだれかが引用してくれるとすると、どの部分を引用してほしいのかといったことを計算して論文を構成していくといいと思う。
こうしたことは、雑誌に載せるような論文だけのことではない。
卒業論文でも、読者である審査の先生が年配の保守的な人であるか、若い進歩的な人であるかで書き方も違ってくるはずである。
また、卒業して就職してしまう人と進学するつもりの人では、戦略が違うはずである。
修士論文、博士論文と書いていくつもりなら、将来の自分の研究の方向をしっかり考えたうえで書いたほうがいい論文になる。
2.言語の使用実態を解明する内容に日本語の研究がまだあまり進んでいなかった時代には、ことばの構造や体系についての研究が重要であった。
今では日本語の構造や体系の研究がかなり高いレベルにまできたため、新しく研究を始める人が同じようなテーマの研究をしても簡単には新しい研究成果をだしにくい状況になってきた。
そのため、若い研究者ほど、ことばの構造や体系より、これまであまり研究されてこなかった、ことばの使用実態に重点をおいた研究をするようになってきている。
この傾向は、すくなくとも、ことばの使用実態の研究のレベルがかなり高くなって壁につきあたるまで、当分のあいだ続くように思われる。
具体的にいうと、以前は、アクセントの体系についての研究や、「桜の花が咲く。
」という例文だけを文法的に分析するような研究、その土地を離れたことがない老年層だけを対象にした方言研究といったものが、重要なテーマであった。
しかし、現在ではそのようなテーマでは論文がかきにくくなり、かわりに、たとえば、イントネーションについての実験音声学的な研究や、談話の中での終助詞「ね」「よ」の機能の研究、地域社会で新しく生まれ主に若年層で使われている表現の使用実態の研究といったものが、人気のあるテーマとなってきている。
それとともに、研究の分野も広がり、これまでの音声・音違、語彙、文法、文章、方言、国語史、国語教育といった分類には入りきらないテーマも増えている。
たとえば、語用論、談話分析、言語行動、認知言語学、外国語との対照研究、言語の機械処理、日本語を母語としない人にたいする日本語教育といった分野のテーマである。
そして、全体として研究対象も古代語から現代語に移ってきている。
このように、研究の流れは、言語の使用実態を解明する方向に動いているのであるが、研究者がすべてそのような研究をめざす必要はない。
日本語の構造や体系を扱う伝統的なテーマや純枠に理論的なテーマを研究する人も必要である。
大事なことは、言語の使用実態を解明するという研究の流れの中で、自分がその流れに乗るのか乗らないのか、自分の研究の位置づけをしっかりもつということである。
ただ、どのような立場で論文を書くとしても、言語の使用実態をまったく考慮しないような研究は、あまり評価されない時代になってきていることは確かである。
3.精密で実証的な内容に日本語学の研究が専門化して細かい現象を扱うようになり、また日本語の使用実態を解明しようとする研究が多くなってくると、データの裏づけがない抽象的な異論は説得力をもたなくなる。
そのため、精密なデータをそろえた実証的な研究がこれからますます主流になっていくだろう。
文法の分野を例にすると、たとえば、日本語として自然な文かどうかという判断は、これまで論文の書き手の直感だけによることが多かった。
しかし、その判断が論文の読み手の直感とあわないことも多く、それだけでその論文の価値が低いとみなされることがあった。
こういうことを避けるためには、自分の母語であってもきちんとネーティブ・チェック(その言語を母語とする人に、その文が自然かどうか判断してもらうこと。
)を受け、必要があればそのデータを明記し、実証性を高めることが、これからは必要になってくる。
また、一方では、実際に書かれたり話されたりした言語のデータ、つまりコーパスを利用して実証性を高めることも、これからは重要になってくる。
近い将来、パソコンで簡単に扱えるコーパスがだれでも安い値段で手に入れられるようになるだろう。
そうなれば、現在、論文を書きときに過去の同じテーマの文献をかならず参照するのと同じような感覚で、オーパスをかならず参照してみるのがあたりまえになると思う。
現代語のコーパスはまだほとんど整っていないが、データに限りのある古代語ではコーパスも整いつつあり、すでに研究に不可欠なものになってきている。
ただし、コーパスを使った表面的な研究では、文科糸の研究者は、工学糸の研究者に、予算の面でも、組織力の面でも、単純作業をいとわない馬力の面でも、とてもかなわない。
助詞「に」の用例を大量に集めてそれを何十通りもの意味・用法に分類するというような仕事は工学糸の研究にまかせて、コーパスを表面的に検索するだけではすぐ結果がでない研究、たとえば、連体修飾節の構造や機能といった研究をするほうがいいのではないだろうか。
このように、これからはますます細かい現象を実証的に研究するという傾向が強まるだろうか、研究者がすべてこのような研究をする必要は、もちろんない。
細部を精密にとらえようとする研究はどうしても全体像や言語理論とのつながりがあいまいになってしまう。
大きく全体像をとらえるような研究、たとえば、あるテーマについてたくさんの言語を調べる類型論(タイポロジー)のような研究も一方では必要である。
大事なことは、ひとつひとつの論文について、獲物の肉を大きく荒っぽく食べる「ライオン型研究」で行くのか、小さくていねいに食べる「ハイエナ型の研究」でいくのか、その立場や目的を明確にして、それに徹することである。
今后的日语语言学论文首先论文的书写方法,是谁都无法教授的。
如果想掌握论文的书写方法,就要阅读至今已有的大量的论文,在这么做的同时,自己自然会掌握,只是现在没有方法。
但是,以过去已有的有名论文为范本,就算照样子写,也不一定能写出好的论文。
论文的书写方法是逐渐变化的,以前的论文对于今后要写论文的人来说在多数情况下并不是好的范本。
今后要写的论文与目前已有的论文在内容与书写方法上都被认为是有着很大差异的。
因此,不管现在论文要怎样变化,首先有关论文的内容,从“适应目标读者的内容”、“弄清语言使用实情的内容”、“依靠精密数据得出的实证的内容”这三个观点来思考。
其次,有关论文的形式,要从“与情报化相称的形式”、“与消费者时代相称的形式”、“与重视权利的时代相称的形式”这三个观点来尝试。
1.适应目标读者的内容在日语语言学领域,无论是研究者还是发表的论文都在急速增长。
因为这样,现在呈现出这样一种现状。
就算一直看论文,也只能看到已发表论文的一部分而已。
在这种情况下,有必要花一些工夫来突显每篇论文的个性,仅仅请认为论文必要的人确实地看一看。
从一方面来看,就算是在论文的目标读者上能树立好目标的“精确论文”也是值得一说的。
尽管如此,杂志的数量在增长,竞争也越来越激烈。
新创刊的杂志,也以像是面向男性的料理杂志、面向女中学生的占卜杂志这一类目标读者集中的专门杂志为中心,发生着同样的事情。
以往,研究者的名字很畅销的话,很多人会想去读这个人的论文,也就是说名字就是这个人的“品牌”。
然而,事实上现在很多人觉得这种事无关紧要或者根本就不在意。
但是,对今后要写论文的年轻人来说,情形是这样的。
如果不是精确论文,就不能被认真阅读,也无法被承认。