芥川龙之介
作品の特徴
芥川龍之介の作品は、多く短篇小説が知られている。し かし初期の作品には、西洋の文学を和訳したものも存 在する(「バルタザアル」など)。英文科を出た芥川は、そ の文章構成の仕方も英文学的であるといわれている。 芥川龍之介は、主に短編小説を書き、多くの傑作を残し た。しかし、その一方で長編を物にすることはできなかっ た(未完小説として「邪宗門」「路上」がある)。また、生活 と芸術は相反するものだと考え、生活と芸術を切り離す という理想のもとに作品を執筆したと言われる。晩年に は志賀直哉の「話らしい話のない」心境小説を肯定し、 それまでのストーリー性のある自己の文学を完全否定 する(その際の作品に「蜃気楼」が挙げられる)。
主な作品 「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」な ど、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』 などの古典から題材をとったものが 多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」など、 童話も書いた。
作品の変遷
初期 歴史小説の時期:説話文学を典拠
とした「羅生門」「鼻」「芋粥」など歴 史物、加えてキリシタン物が有名で ある。初期の作品を「非常によい」と 評価されている。歴史物では、人間 の内面、特にエゴイズムを描き出し たものが多い。
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
生年:1892-03-01 没年:1927-07-24
河 童 忌
芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)
東大在学中に同人雑誌「新思潮」に発表した 「鼻」を漱石が激賞し、文壇で活躍するように なる。王朝もの、近世初期のキリシタン文学、 江戸時代の人物・事件、明治の文明開化期 など、さまざまな時代の歴史的文献に題材を とり、スタイルや文体を使い分けたたくさんの 短編小説を書いた。体力の衰えと「ぼんやりし た不安」から自殺。その死は大正時代文学の 終焉と重なっている。
自殺 に関して:おとうさん、よ かったね。
芥川が自殺の動機として記した「僕の将来に対する唯ぼ んやりした不安」との言葉は、今日一般的にも有名であ るが、自殺直前の芥川の厭世的、あるいは「病」的な心 境は「河童」を初めとする晩年の作品群に明確に表現さ れており、「ぼんやりした不安」の一言のみから芥川の自 殺の動機を考えるべきではないとも言える。芥川命日は 小説「河童」から取って河童忌と称される。
生涯
初恋が破局として終わるころ、「今昔物語」 から題材をとった「羅生門」を「帝国文学」に 発表した。これは完成度の高い洗練された 作品ではあったが、文壇の注目を浴びるに はいたらなかった。 (『鼻』) 1914年の12月、初めて漱石山房を訪問し たばかりだが、そのご、「木曜会」の常連と なった。彼の文学上の師は、漱石と鴎外二 人で、むしろ鴎外からの影響が大きいといわ れる。しかし、人間の師としては漱石一人で あった。
中期
芸術至を書き、長編「邪宗門」に挑んだりしている。一見、 有名な作品を書いているように見えるが、後世の 文学者はあまり中期の芥川文学を評価していない。 晩年:自伝的小説を書いた時期 自殺を考えていたのか、自分のこれまでの人生を見直し たり、生死に関する作品が多く見られる。初期より晩年の 方を高く評価する見解も示されている。「一塊の土」など、 これまでと比べ現代を描くようになるが、台頭するプロレタ リア文壇にブルジョア作家と攻撃されることとなる。この頃 から告白的自伝を書き始める(「大道寺信輔の半生」「点 鬼簿」など)。晩年の代表作「河童」は、河童の世界を描く ことで人間社会を痛烈に批判しており、当時の人々に問題 を提起した。
「人生は一行のボードレールにも しかない」という彼の言葉に示さ れる芸術至上主義的な色彩が 具現化。
生涯
生後9ヶ月に生母ふくが発狂したため、母の実家 芥川にあずけられ、12歳のころ養子となった。狂 人のこの自覚と養子という肩身の狭い思いは、長 ずるに従い次第に重荷を増していく。発狂した10 年間生存した母の姿は、遺伝の恐怖とともに、彼を 自殺に駆(か)った要因であった。
23歳 このころの彼は、不幸な初恋を体験している。吉田 弥生やよいと知り合い。養家の強い反対にあい失恋に終 わった。この事件は龍之介に苦い体験となったのはいうま でもなく、’人間の醜さとエゴイズムをかみしめるようになっ た。
鑑賞 これは果たして信仰を賛美する物語なのであろう か.「ろおれんぞ」は宗教を捨てているのである. ならば「無償の愛」なのであろうか.何も語らず敢 えて汚名を受けたのは,娘のためになっているだ ろうか.むしろ自ら「如何に生きるか」という,自ら の自己確認のように思われる.子供を救ったのも その自己を貫いたための犠牲に報いたように思わ れてならない.
死の8年後、親友で文藝春秋社主の菊池寛が、芥川の 名を冠した新人文学賞「芥川龍之介賞」を設けた。芥川 賞は直木賞と並ぶ文学賞として現在まで続いている。
ほうきょうにんのし:1918年
登場人物 ろおれんぞ しめおん 傘張りの娘
芥川は殉教者の心情や、東西の異質な 文化の接触と融和という課題に興味を 覚え、近代日本文学に“切支丹物”とい う新分野を開拓した。文禄・慶長ごろの 口語文体にならったスタイルで、若く美 しく信仰篤い切支丹奉教人の、哀しいが 感動的な終焉を格調高く綴った名作『奉 教人の死』、信仰と封建的な道徳心との 相剋に悩み、身近な人情に従って生き た女を描く『おぎん』など、11編を収録。
鑑賞
文章からそのまま理解。が、男として生きねば ならなかった人生、冤罪(えんざい)、受難の苦 しみは書かれず、ただ行動のみ描き、結果と しての殉教に「刹那の感動」を見出す作者は、 人生の意味を発掘しようという方向ではなく、 あきらかに芸術的な美を追求しているように 見えます。
鑑賞:名句
人の世の尊さは、何物にも変えがたい刹那 の感動にきわまるものです。
作品の特徴
「杜子春」など古典を参考にしたものや(原話は唐の小 説『杜子春伝』)、鈴木三重吉が創刊した『赤い鳥』に発 表されたものなど児童向け作品も多い。一般的には、キ リシタン物や平安朝を舞台とした王朝物などに分類され る。また、古典(説話文学)から構想を得た作品も多い。 例えば、「羅生門」や「鼻」、「芋粥」などは『今昔物語集』 を、「地獄変」などは『宇治拾遺物語』を題材としている。 またアフォリズムの制作も得意としており、漢文などにも 通じていた。
鑑賞 生きるために何かをするのでも,何かをするため に生きるのでも無い.ただ「如何に生きるか」その 一点のみに人生を収斂させているのだと思う.そ の凄絶な「生」が,負に傾いた私の心を引き留め てくれるのである.生きる目的も,理由も何もない. ただ「生き方」にのみ意味があるとは,なんと険し い生であろうか.
あらすじ
村の娘が不義の子を産む.娘は相手は美形の修 道士「ろおれんぞ」だと嘘をつく.このため「ろおれ んぞ」は修道院を追放され,乞食に身を落とす.あ るとき娘の家が火事になり,その子供が家に残さ れた.どこからか「ろおれんぞ」が現れ,子供を救う が死んでしまう.村人は「やはり我が子」と言うが, 娘は凄絶な「ろおれんぞ」を目の当たりにして,本 当は隣家の男が父親だと真実を告白する.村人が 「ろおれんぞ」を弔おうとしたとき「ろおれんぞ」が女 であったことがわかる.