桜の季節毎年3月になると、春風が吹き始め、人々の間では必ず「今年は桜がいつ満開になるかなぁ」という話題が出てきます。
3月下旬に入ると、毎日テレビなどの「桜前線」の報道を聞き、人々は首を長くして、真冬の後に一番早く咲いてくれる花の満開を待ちます。
桜は日本の国花であることはよく知られています。
多くの人が私と同じように日本に来てから、自分の目で満開の桜を見てはじめて、桜とは花が咲いた後芽が出る植物であることを知り、日本人がこんなにも桜に熱狂するのだということを知ります。
桜満開のとき、日本列島はピンク色に染められています。
桜の柄や色など衣食住の至るところで見られます。
特に花見の名所などは、他よりもっと早く桜色に染められています。
幼いころ、親に連れられて花見に行くとき、桃や梨の花など花林の中を散歩しながら、花見をしていました。
しかし、日本ではみんな桜の下に座って、弁当を食べたり、お酒を飲んだり、話をしたりして、ときには歌ったり、踊ったりもしています。
特に不思議なのは普段まじめな中高年の男たちが桜の下で子供のように有頂天になって踊ったり歌ったりすることです。
帰国の時、「なぜ日本人は桜の下でしかリラックスできないのですか。
」と何回か友達に聞かれたことがあります。
私もこのような質問をまわりの日本人の友達に聞きました。
みんなからはほぼ同じような回答をもらいました。
「やさしい桜は一輪が目立たないのですが、一面になると本当に感動を与えてくれます。
桜は日本という国だけでなく、日本人の心も表しています。
桜の下に座ってはじめて安心感を覚え、本当の自分が見つかり、一年間溜まったストレスが解消できます。
」日本で何回か花見をしたあと、友達の言っている日本人の桜に対する恋しさの解釈が少しずつわかってきました。
自分もそれに共鳴を覚え、桜に対して恋しい感情が芽生え始めました。
樱花时节每逢三月,当春风刚刚吹动时,人们便开始了每年此时必谈的话题:“今年的樱花哪天会全开呀?!”进入三月底,在媒体每天的「樱花前线」的报道中,人们更是好象坐立不安似的等待盼望着严冬后春天第一花的到来。
许多人都知道樱花是日本的国花。
我知道有许多人和我一样,来到日本亲眼看到樱花盛开的情景,才知道樱花是属于那种先开花后长叶的树种,才了解到日本人对于樱花如此执着地怀恋。
在樱花时节里,整个日本仿佛是都被染上了粉红色一般,无论是衣、食、住,到处都可以看到樱花的图案、樱花的颜色等。
尤其是在赏樱的“宝地”之处,更是比其它地区更早地染上了樱花的颜色。
记得小的时候,在春天被父母带去赏花时,在开满了桃花、梨花的花林中,边散步边赏花。
而日本则是大家坐在樱花树下,边吃「弁当」,边喝着酒,高谈阔论,有时还会又唱又跳。
尤其是平日那般严肃认真的中、高年日本男人们在樱花树下,仿佛是顽童般地手舞足蹈、引亢高歌……。
回国时,多次被朋友问起:“为什么只有在樱花树下,日本人才会放松自己、打开自我?”我也曾将此等问请教于我周围的日本朋友们,大家几乎是同样地回答我:“温柔的樱花,一朵看上去并不起眼,但一群看上去会令人激动。
樱花代表日本,更代表着日本人的心,只有坐在樱花的树下人们才能感受到心安、找回自我,才会将压抑了一年的情绪释放出来。
”经过在日本的几次赏樱后,我慢慢地理解了朋友们所讲的日本人怀恋樱花的解释。
而且自己也被感染,渐渐地蒙发了对樱花的怀恋之情。
日漢対訳読物02新米新米日本のお米は世界で一番おいしいお米かもしれない。
また秋の新米は、さらにみずみずしくいっそう美味しいものだ。
毎年新米が出回るころ、料理店や米屋はみな、黄金の稲穂を描いた紙に大きな字で「新米入荷!」と書いた広告を貼り出す。
最近、白血病を患っている前千葉大学の留学生、劉学東が私に新米にまつわる話を聞かせてくれた。
電話の向こうで、彼がぽたぽたと涙をこぼしているのが聞こえた。
劉学東は言った。
彼には篠崎栄行さんという50すぎの日本人の闘病仲間がいた。
彼も同じ白血病で、一緒に入院していたとき、彼は劉学東にいつも飲み物を買ってくれるなど、とてもよくしてくれた。
劉学東が遠慮すると、彼は劉学東にこういった。
「あなたは学生で大変でしょう、私は保険に入っていて入院すると毎日2万円くらい出るんです。
」篠崎さんの実家は米の名産地である千葉の東金で、毎年新米が出ると、彼はいつも劉学東に10kg送ってくれて、日本人と同じように新米の芳醇な香りと豊作の喜びを分かち合わせてくれた。
彼らはこの病気になると先はそう長くはないことを知っていたが、お互いの友情によって楽しく生きているのだと話していた。
篠崎さんは去年6月退院したが、今年の1月病状が悪化し再び入院した。
このとき彼はすでに危篤状態で、薬ももう効かなくなっていた。
7月20日、劉学東は妻の陸新紅を連れて彼の見舞いにいった。
自分がもうそう長くないと知っている篠崎さんは陸新紅も不治の病を患っているらしいと聞いて、陸新紅に言った。
「あなたはきっと元気に生きられますよ、天国に行ったら私が神様によくお願いしておきますから。
」8月2日、劉学東が再び篠崎さんを見舞ったとき、彼はもうとても弱っていて、身の回りの世話をしてくれている姉にむかって、「わたしはもう長くはないが、姉さん、忘れないでくれよ、新米が出たら必ず劉さんに送ってくれよ。
」と言った。
8月19日、篠崎さんは静かにこの世を去った。
臨終の際、彼がとても弱弱しい声で劉学東にいった最後の言葉は、中国語の「謝謝」だった。
9月12日劉学東と陸新紅は、篠崎さんのお姉さんから送られてきた新米と一通の手紙を受け取った。
手紙には「弟が入院中は大変お世話になりました。
ほんの気持ちばかりですが新米をおおくりします。
」とあった。
中秋の満月が水のような輝きを放っているなかで、またみずみずしい香りを振り撒いている新米のなかで、二人ははらはらと涙を流した。
篠崎さんは静かに逝ってしまったが、彼がもっとも残念だったのは二人に自らの手で今年の新米を贈れなかったことだろう。
しかしながら彼の、その新米よりもつややかな友情、その無情な死をもってしても断ち切れない友情は、永遠に絶えることなく劉学東と陸新紅の心の中に残るだろう、この友情があるかぎり、生も孤独ではなく、死も孤独ではないのだ...。
劉学東は電話の向こうで涙に咽びながらこういった。
「どうか、私の代わりに文章を書いて、私に代わってありがとうをいってください。
」私はこの美しい声をどんなにかあなたに伝えたいことか。
私たちは出会ったこともない異国人だが、きっとあなたには聞こえるはずだ、見えるはずだ、篠崎栄行さん...。
新米日本的大米也许是世界上最好吃的米了。
而每年秋天的新米,吃起来更是满口清香。
每到新米下来,饭店和卖米的商店都会贴出画着金黄稻穗的广告,上面用大字写着:“新米到了!”最近,身患白血病的前千叶大学留学生刘学东给我讲了一个有关新米的故事。
在电话机里,我听到了他的泪水在簌簌地坠落。
刘学东说他有一个五十多岁的日本病友叫筱崎荣行。
和他一样患的也是白血病,一起住院时,他对刘学东非常照顾,总为刘学东买一些饮料什么的。
在刘学东过意不去的时候,他就对刘学东说;“你是学生,很苦的,我有保险,住院每天还可以得到两万多元。
”筱崎的家乡是大米的著名产地千叶的东金,每当新米下来,他都要送给刘学东十公斤,让他和日本人一起分享醇厚的清香和丰收的喜悦。
他们都知道得了这种病来日不很长,但他们都说,由于彼此间的友谊,他们活得很开心。
筱崎去年六月出院了,但是今年一月病情恶化,他又住进了医院,这时他的病情已进入了危笃期,药物已经不起作用了。
七月二十日,刘学东携夫人陆新红去看望他,知道自己将不久于人世的筱崎当听说陆新红也身患绝症时,对陆新红说:“你一定要好好地活下去,到了天堂我会拜托上帝照顾你的。
”八月二日,当刘学东再去看筱崎时,他已经很虚弱了,他对守在自己身边的姐姐说:“不久我就要去了,可姐姐你可不能忘记呀,新米下来要给刘先生送新米哟。
”八月十九日,筱崎静静地离开了人世。
在弥留之际,他用极微弱的声音对刘学东所说的最后的一句话,是用中国话说了声“谢谢”。
九月十二日,刘学东和陆新红接到了筱崎的姐姐寄来的新米和一封短信,信中说:“弟弟住院时,多亏你们照顾他了,送上一点新米,小小的一点儿心意······”在中秋圆月如水的清辉中,在新米散发着的清香中,刘学东和陆新红簌簌地留下了泪水。
筱崎静静地去了,令他更遗憾的也许是不能亲手把新米送到两人的手里。
然而他那比新米更清醇的友情、那令无情的死也无法割断的友情,永远绵绵不断地留在了刘学东和陆新红的心中,让人感到只要有了这种友情,那么,生也不孤独,死也不孤独······刘学东在电话里哽咽着对我说:“请你在文章里替我说一声:谢谢,谢谢······”我多想把这美好的声音传达给你,尽管我们是从未谋面的异国人,但我知道,你听得懂,也听得见啊,筱崎荣幸先生······日漢対訳読物03蝉の声私は子供の頃から中国の東北で育ったので蝉の声を聞いたことはなかった。
のちに北京に出て働き、郊外の農家の敷地(庭)に住んでいた。
夏が来ると柿の木の濃い木蔭が庭をすべて覆う。
こまかく砕いた金粉を篩にかけたような陽光の下、誰か一声命令したのか、紅い屋根と緑の木々のあいだで無数の透明な蝉の羽が突然陽気に動き出す。
琴瑟(キンシツ)のような蝉の声が光と影のなかに流れ込み、まるで陽光の透明な手が万物の合奏を演奏しているようだ……。
雨の後の蝉の声はさらに美しくて捨ておけない。
杜甫の詩に曰く:晨鐘雲外湿(朝の鐘声が雲の外側に湿っぽく響いている)。
雨の後の蝉の声も、緑の潤いをゆっくりと散る白雲のあいだに揉み込んで酷暑の中に一片の清涼をもたらし、白居易の『井底引銀瓶』(井底銀瓶を引く)のなかのすがすがしい詩句を思い起こさせる。
嬋娟両鬢秋蝉翼、宛轉雙蛾遠山色(美しい両鬢はセミのはねのようで、きれいな両の眉は遠山の色のようだ)。
その頃、私には解らなかった、どうして中国詩人のおおくが蝉の声を悲しく痛切に描くのか。
たとえば洛賓王の『獄中詠蝉』(獄中に蝉を詠ず)のように、西陸蝉声唱、南冠客思沈不堪玄鬢影来対白頭吟太陽が西陸を行くといわれる秋が来て蝉が唄い始めると、異国で捕われの身となっている私の心に旅の憂いが侵み込んで来る。
高潔だといわれる黒い美しい翅を持った蝉がやって来て、自分の潔白を訴えて歌う私の白頭吟の歌を聞いてくれるのを見ると、とてもたまらない気持ちだ。