私は大学院生で、后1年で卒业します。
今は梦を実现するための知识の吸収に専念しています。
勉强することは大変ですけれども、授业を通して色々な知识、専门を理解することや先生とのつながり、友达とのつながりができることが学びの大事な意味だと思います。
大学は、自分の兴味あることを追求できる场だと思います。
これからの出会いを大切にし、感谢の心を忘れることなく、谦虚に、そして人を想い、なにより自分を大切にし、様々なことを経験していきたいと思っています。
大学で习った知识を活用して、自分の目标を达成できるように顽张って行きたいと思います。
実は卒业してからの生活はどうなるかについて、ちょっとはっきりしていない状态もあります。
今まで18年间学生时代でしたが、これからいよいよ社会人になりますが、憧れもあるし、心配ももちろんあります。
学生时代は本当に悩みのない时代でしたが、社会に入って、経験の浅い青年で、これからきっと色々なトラブルがあるのではないかと心配しています。
でも、今まで毎日宿舎~教室~食堂~図书馆~宿舎の缲り返している暮らしはやっと终わらせ、これから社会人の一员として、独自で色々な出来事に直面して、色々な人と付き合って、チャレンジできることも楽しみです。
まだまだ学ばなければならないことがたくさんありますが、社会の大讲堂で、色々な知识、また能力を身に付けて、梦に向かって着実に前进して行きたいと思います。
なんと言っても楽しめそうです。
后一年间ですが、もう少し充実な大学生活を楽しみながら、将来のことを企画しなければなりません。
私は将来の生活に大きな期待をしています。
自分の幸运も祈っています。
わたしたちの生活と情报情报は、私たちの生活に深く関わり、様々な影响を与えている。
コンピュータ等の情报机器が社会の様々な分野に入り込み、日常生活にも大きな変化を齎している。
私たちは、さまざまな手段を通して、情报を得ることができ、生活の向上・充実に役立てている。
テレビ、ラジオ、新闻、パソコン、携帯电话、ファックス、広告、雑志、カーナビなど多くのものが、すぐに头に浮かんでくる。
また、情报は生活の向上・充実ばかりでなく、诸产业の発展にも欠かせない役割を果たしている。
银行や证券会社はもとより、宅配便やコンビニエンスストアの急成长も、コンピュータや通信ネットワークと密接に関わっている。
しかし、その存在は、特别意识しない限り、容易に见过ごしてしまう。
目に见えない存在のものを、いかにして子供たちに意识させるかが、重要となってくる。
子供たちは、「情报」という言叶を难しくとらえてしまうことがある。
子供たちの「情报」に対するイメージは、テレビ番组の「ニュース情报」に代表されるように、「大変な事件や事故」という意识を强く持っている。
しかし、「情报」は、自分たちの生活とかけ离れたものではなく、自分たちの生活と深く関わっていることに気づかせたい。
例えば、运动会やキャンプ、校外活动などの行事の前に、天気予报をチェックすることも「情报」と関わっている例であることに気づかせることもその一つである。
また、高度情报化社会に生きる私たちにとって、情报の有効性や役割、情报のもたらすさまざまな影响を踏まえて、その适切な収集や活用、あるいは発达や伝达の仕方などの能力を身に付けることは、重要なことと言える挨拶とは人に会う时、とりかわす、仪礼的な动作や言叶の事:おはよう。
こんにちは。
こんばんは。
等になるがあくまでも人と会った时あなたと会いましたよと言う印のようなものですから、はい!ヤー!でもかまわない。
又、天候の话を我々は人と会った时に交わすが、相手寒いですね、と言えば、自分が寒くなくても、寒いですねと答えればよい。
重要な事は会った印を交し合っていると言う事が人间関系を保って行く。
明るい人间関系の第一歩は挨拶から始まる。
人间には人间関系が存在する。
人间は一人で生きられるだろうか?いいえ、人间はお互いに信頼し合い、助け合い、时には喧哗や、戦いをすることもありますが、最终的には误解を解け、话し合い、仲直りになるだろう。
如何にその误解や纷争を少なくして、无駄なエネルギーを省くか、考えたことはあるのでしょうか。
それは挨拶から始まり、コミュニケーションをして、お互いに理解を深めることは非常に大切であるのではないでしょうか。
こんにち、大きく言うと、人间と人间の纷争、戦いが世界のどこかに続いている。
自分の仅かな利益のために、他人の権利を无视して、中伤し合い、夺い合い、杀し合い、戦争まで起こしてしまうこともある。
小さく言えば、夫妇、兄弟でも些细なことでも、口利かないことや、喧哗、离婚などまでしてしまうこともある。
それらのことを无くすには简単ではないが、先ずは我々自ら、相手を信じて、挨拶から始まり、理解し合い、人と人のつながり、家庭と家庭の付き合い、会社と会社の协力関系、国と国の信頼関系を筑いて、深めていくには、相手を尊敬し、礼仪、マナーを忘れず、対等に话し合いからしようではないか。
人类共に素晴らしい新世界を作り上げましょう。
それが出来るものは挨拶の力である。
:『环境问题』という枠をこえて「现在一日平均一五メートルの早さで砂漠がサヘルに広がっているといわれています……。
」五时限目の地理の时间中、心地よい満腹感と冷たいクーラーの风を感じながら半ば眠りかけていた私は、耳に入ってきた先生の言叶にハッとした。
资料集の该当ページを见るとやせて细い体の人达が、これもまた骨を皮だけのような家畜をひび割れした大地に放牧している写真が目に飞びこんできた。
私の目と头はショックで完全に目覚めた。
そしてその原因が、干ばつによる食料难で家畜が草地の再生能力をこえるほど草を食べつくしたことだと闻いた时、私は今まで自分が実行してきた(と自负していた)环境に対する取り组みがいかに底の浅いものかということに気づき、耻ずかしくなった。
「环境问题」といっても人间の生活を抜きにして考えることは不可能なのだ。
例えば森林の伐采。
先进国への木材输出、焼き畑农业など理由は多くあるだろうが、一番の问题は、自分たちが先祖から受け継いだ森林を伐采して売らざるを得ない、または焼き畑をせざるを得ない、発展途上国の経済的贫しさではないだろうか。
経済的余裕がないから资源を収入源にし、また植林等の対策にも手がまわらない。
中国で成功した植林による绿地化がアフリカ等でうまくいかないのは、植林してもそこをすぐに畑にしてしまう人がいるからだと闻いた。
私はそれ以来、「环境问题」をその他の世界的な问题ー人口増、食料难、南北问题ーと分けて考えることをやめた。
前から再生纸や「环境にやさしい」石けん等を意识して购入していたが、それだけでは根本的な解决にはなかなか到达できないのではないか、と思い、主に饥饿问题に取り组んでいるボランティア団体のお手伝いや、アフリカに教育施设を建てるための募金に参加したりした。
そんな中で、得に印象に残ったのは、「先进国が军事目的で使っているお金を、私达に下さい。
そうすれば私达はそのお金でこの地球に住むすべての人々をより幸せにすることができます。
」という一人の女性の诉えだった。
环境を重视する人が多くなってきた今、この诉えのように、「当时国の生活、教育水准を上げる努力が结果的には地球环境を守り、世界の人の幸せにつながる。
」ということを、もっと多くの人に知ってもらいたいと思う。
私は今、再生纸を买う时も、饥饿キャンペーンに募金する时も、この行为が地球を守ることにつながっているのだ、と考え、以前よりもやりがいを感じている。
现在苦しんでいる人を援助することが将来の地球を守ることになる、という意识を强く感じている。
现在苦しんでいる人を援助することが将来の地球を守ることになる、という意识をもち、これからも様々な活动に幅広く取り组んでいきたいと思う。
「趣味」私の趣味は書道【しょどう】です。
休日はいつも午前から筆【ひつ】と硯【すずり】を出して。
夕方まで習字をしてすごします。
でも、この習慣は日本に来てから始めたものです。
もちろん私の国中国でも子供の時から、みんな習字を習います。
しかし、国ではそれは趣味ではありませんでした。
日本では何でも非常にお金がかかります。
ですから始めの頃、私は暇な時でも何もしないで一日中部屋にいました。
でも日本語学校で習字のクラスが始まったので、私もやってみることにしました。
漢字は私の国でも書きましたが、ひらがなを筆で書くのは初めての経験でした。
その時私は筆で書くひらがなの美しさにとても感動しました。
今、私はひらがなの練習に夢中になっています。
それに習字をやっている、国のこと、特に高校生のころを思い出して、とてもなつかしい気持ちになります。
習字は孤独【こどく】な趣味です。
友達は「もっと外に出て遊んだ方がいいでしょう」と言いますが、私は習字をやっていると本当に時間をわすれてしまうのです。
「私の梦」(日本人は理想よりも、梦と言う言叶を使っていると思いますので。
)私はまだ子供のころ、空を见上げることが大好きでした。
青々と広がっている空を、ふわふわしている云が、のんきそうに漂っていくのを见て、心が愈されるような気がします。
ですから、私はそのとき、「将来パイロットになりたい」と心で决めました。
飞行机にのって、鸟のように、空を、云の间を缝いでいくことを、すばらしく思っていました。
头が空っぽになって、すべての悩みが忘れられるようなので。
まだちっちゃいので、パイロットになるために、どうしたらいいのかまだ考えていませんでした。
その后、パイロットはみんな2.0以上の视力がなければならないと闻いて、近视眼である私はただ、空しく叹くしか、しようがありませんでした。
高校に入って、私はサッカーに兴味を持ち始めました。
サッカー选手たちが、竞い合っている姿に、私は惚れていました。
あのスピード、パワー、テクニック、あれこそが、男のあるべき姿ではないかと、私は思いました。
そして同时に、新たな梦が私の心に芽生えました。
それは、「中国一のゴールキーパーになって、中国チームを世界の顶点に送るのに、私は自分の力を捧げたい」と思いました。
しかし、それには、身长が必要です。
1.80ちょうどの私には、中国一は无理だったのかもしれません。
大学に入って、身长がほぼ固定された私の新たな梦は、无残にも破られてしまいました。
日语大学では、日本语を専攻しました。
正直、初めの顷は、梦なんて、まだ见つけていません。
目の前の道をただ走るのみ、そこには私の梦とか、意志とか、ありませんでした。
勉强していく中で、ちょっとした问题に気づきました。
それは、必死に勉强している人ほど、成绩が低く、ということでした。