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日语优秀作文鉴赏

日语优秀作文鉴赏朝顔の魅力どこからみても何のへんてつもない小さな黒い朝顔の種。

しかしこの種こそ私の宝物なのです。

この宝物がやがて芽を出し成長していくと見事な花を咲かせます。

その花が朝日にあたりダイヤモンドのように輝くのです。

しばし夏の暑さを忘れ、自然と笑顔がこぼれ心にゆとりを持たせてくれるのです。

今年も五月のはじめに種をまき、今ではつるも出て小さなつぼみもいくつかついています。

どんな色の花を咲かせてくれるのか、今から楽しみに育ててます。

その朝顔との出会いは小学校一年生のときでした。

先生から育てるうえで、いくつか話しがありました。

その中で、「毎日声をかけると、朝顔も喜んで、大きくなるよ。

」と言われたのが特に心に残り、「今日も暑かったね。

」などと話しかけながら水やりをしました。

成長していく過程が楽しみで毎日見に行きました。

そして、見事にピンクの花を咲かせたときには、何とも言えない喜びと嬉しさで感動したのを覚えています。

夏休みには家に持ち帰り、毎日何個、花が咲くのかを観察しました。

やがて秋には何十個も種が取れました。

それからというもの、私は家で採れた種を翌年まき、育ててまた次の年へと続け、もう六年が経ちました。

毎年たくさんの種が取れるので、友達や近所の人、親せきにも配ったりしました。

この六年間をふり返ると朝顔も濃いピンクの花から、うすいピンクやうす紫へと花の色も少しずつ変化してきました。

私自身も朝顔を通していろいろな経験をしました。

二年生のときには、一鉢に一粒か二粒ぐらいまくのが朝顔がよく育つのに、「たくさんまけば、花もたくさん咲くかもしれない。

」と思い、一鉢に五、六粒まきました。

結果は予想とはずれ、あまり成長せず花も小さく勢いがありませんでした。

「よくばったらいけないなぁ。

」とつくづく思ったものです。

四年生のときには、私が朝起きて見るといつも、咲いています。

「朝顔は、いったい何時頃から咲きはじめるのだろうか。

」と思い、夏休みの自由研究のテーマにしました。

ねむい目をこすりながら午前三時頃から観察しました。

四時半にはつぼみがふくらみはじめ、五時半頃にはほぼ満開になりました。

少しずつ変化していく様子をまのあたりにし、新しい朝顔を発見した気分でした。

また、夏休みには毎年家族で旅行したりして、家を留守にすることもありました。

そんなとき、バケツに水を入れ、その中に鉢ごといれ、水分不足にならないように気をつけました。

今まで育ててきて一番心配したのは去年でした。

種ができかかっていたときに台風が来て、全部倒れてしまいびっくりしました。

葉もやぶれ、つるも途中で折れたりと、それは無残な姿でした。

「わぁ、ひどかったねぇ。

」と言いながら、鉢を起こし手当てをしました。

根がしっかりしていたので、どうにか元気を取り戻しなんとか種を取ることができました。

すごい生命力に、こちらが何か元気をもらったようでした。

この六年間、朝顔を育てて感じたことは、同じ種でも、芽の出方や育ち方に違いがあるのに気づきました。

種をまいて一週間ぐらいで芽を出しどんどん成長していくものもあれば、もう出てこないのかとあきらめていた頃、一ヶ月以上も経過してから、ひょっこり芽を出すものなど様々です。

成長の早い遅いはあっても、めざることはただひとつ。

きれいな花を咲かせることなのです。

人間も一人一人違ってあたり前。

運動が得意な人もいれば、絵がうまい人、話が上手な人、それが不得意な人などさまざまです。

いろんな人がいてこそ、自分にないものを他の人から吸収できるし、またそこから自分に広がりが出てくると思います。

朝顔をながめながら、「わぁ、きれいね。

」「ほんとね。

今日もたくさん咲いたねぇ」と会話している私の家族の声を聞きながら、朝顔も満足しているのではないかと思います。

人間にも朝顔にも共通するところがあるように思えます。

きっと朝顔は花を咲かせるという夢をいだいて、ときには厳しい自然にも立ち向かいながら目標を達成しています。

私も落ち込んだり悩んだりすることがあるかもしれませんが、自分の夢に一歩近づけるよう努力したいと思います。

そして私の夢にも花が咲きますように。

今朝も我が家の朝顔は、そよ風に体をなびかせています。

[next]山との出会いまるで、パレットに絵の具を落としたように、あざやかに彩る山の紅葉を見たことがありますか。

一面真っ白な雪景色の中で、コバルトブルーにかがやくオオルリの美しさを知っていますか。

山小屋の庭先で、宝石のように光るミドリシジミを、ひとりこっそり見つけたら、どんなに心がときめくと思いますか。

初めて私が富山県の立山に登ったのは、小学三年生の秋でした。

山岳写真家の私のおじさんに連れて行ってもらったのです。

『星に一番近い駅』と言われる立山の室堂は、標高二四五0mというものすごい高さにあります。

そんな高さの世界では、私の知らないおどろくことばかりでした。

そのながめは壮大で、周りの山々を見下ろすと、白いきりが海のように広がっていて山の頂だけが浮かんで見えました。

何かとても不思議な感じはしていたのですが、きりだと思って見ていたものは、実は雲だったと知って本当にびっくりしました。

まさか自分達の下に雲があるなんて。

まして雲よりもっと高い所に自分が立っているなんて信じなれなかったのです。

それから、山はすごく寒くて、水は凍るように冷たかったです。

うっかり手袋を落としてしまった私は、おじさんに、『山での手袋は、自分の手と同じようなものなんだぞ。

』と叱られました。

そして本当に、冷たさで手がちぎれるように痛かったです。

私はその時、ちょっぴり山のきびしさを知りました。

立山の秋の紅葉は、その全てが絵ハガキのようでした。

赤や黄やオレンジに色づいたナナカマドやカエデ、ダケカンバなどの葉っぱか、お花畑のように見えました。

私は生まれて初めて、こんなきれいな紅葉を見たので、感動でむねがいっぱいになりました。

そしてこの美しいを写真におさめて、もう一度みたいと思い、カメラを片手に、感じたものを取りながら歩きました。

遠くの紅葉もすばらしいのですが、足もとに目をやると、そこにもきれいに色づく植物が木道の脇を飾っていました。

私は、雨のしずくにしっとりとぬれた、赤く美しいチングルマのしげみの中に、黄色い葉をもつトリカブトを見つけました。

その近くには、オヤマリンドウが、青むらさきの花をつけて、ひときわ美しい咲いていました。

大自然の中では、人の命をうばうほどのおそろしい植物も、こんなに美しい花とともに共存しているのだと、おじさんに教えてもらいました。

それを聞いたので、カメラでトリカブトを撮る手が少しふるえてしまいました。

「なんでこんなに低い木があるんだろう。

このはっている木はなんだろう。

」私は、その場に立って、しばらく考えこんでしまいました。

するとおじさんが、「これはね、ハイマツと言って、標高二○○○m以上にしか生えない松なんだよ。

」と教えてくれました。

私は雪の重みにたえきれず、はってしまったのかなと思いましたが、本当は、強い風がふく高山では、上の方にのびることができず、はうことしかできなくなってしまったからだそうです。

冬が近づくとなかなか見るのがむずかしい山の忍者“雷鳥”。

きりの中、どうしても見たい!という思いで目をこらしていたその時、きせきが起こりました。

私の目の前を一羽の雷鳥がバッと飛び立ったのです。

もうびっくりして心ぞうが止まるぐらいドキっとしました。

願いがかなったのです。

そして雷鳥が飛び去ったあと、急にものすごい雨がザーっと音を立てて降ってきました。

雷鳥が現われる時は、天気がくずれるというのは本当でした。

いっしゅんの出来事でしたが、その光景を思い出すたび、私の心は今でもときめくのです。

大自然の中には、さまざまな植物や動物に、やっと出会えた時、感動するのです。

私は時々、山に行きたくてたまらなくなります。

いつも心がわくわくすることを探しています。

そして、どこにそれがあるかも知っています。

だから、もし友達で心が傷ついたり、毎日が苦しくてなやんでいる人がいたら、「山に行こうよ。

山には自分だけにしか見つけられない宝物がいっぱいあるんだよ。

きっと探せるよ。

自分が見つけたもの全てが宝物だから。

」と、いうつもりです。

山と出会えて、本当に良かったです。

[next]橋人が、橋を作ったのはいつなのだろう?人は、橋を作る時何を思うのだろう?そして、自分が初めて橋を渡ったのは、いつの事だったろう?幼稚園?小学生?まだ、自我の無い赤子の時?あるいは、まだ母の体内にいる時に、さまざまな「橋」を渡っていたのかもしれない。

「橋」、言葉にするとたった一文字の単語。

だが、意識して思い起こしてみると、「橋」というものは自分の周りのさまざまな所に存在している。

川を越えるための「橋」はまさにその典型的な、しかし我々「人」にとって最も必要な「存在」だろう。

普段何気なく車や自転車、あるいは徒歩かもしれないが、そこに「橋」がなければ我々は、そこを泳ぐか船を手に入れでもしなければ渡れないのだ。

当たり前のだが、改めて考えてみると「橋」というものがいかに大きな存在であるかが自分の心の中にありますと浮かんでくる。

自分の「橋」の強く残る思い出は、幼い時に祖父と魚釣りに行く時に渡っていた「橋」である。

子供心ながら、「早く釣りを初めたい」、「早く着かないかなぁ」などと、炎天下の中、曇り空の中、あるいは、良く晴れた青空の中、祖父と自転車を走らせたのを今でも鮮明に思い出せる。

今では、その「橋」は自転車で通ることはもちろん、車で通ることも滅多に無くなってしまった。

祖父も昔のように、こんな手のかかる孫を連れて元気に「橋」を渡れる体力はもう無いだろうと思う。

いつか、祖父とも別れの時が来るだろう。

しかし、思い出は残る。

それが自分にとって幸せな事となるか辛い事となるかは今は分からない。

ただ、「橋」という存在によって、自分の中では「確か」な「思い出」を、「橋」のおかげで形成する事ができた。

人は、いずれ死ぬ。

モノは、いずれ壊れる。

記憶は、いずれ衰える。

しかし、「思い出」は自分の中では不変の物であると思いたい。

自分の中でいつまでも覚えていたい。

人から見れば当たり前の事があり、自分でもありきたりだとは十二分に承知しているが、誰だって「橋」に対して誰もが何かしらの「思い」を持っているはずだ。

自分の、「橋」に対しての「思い」とは、『道だけではなく、人の心と心を繫ぐもの』だと思いました。

[next]秋「秋きぬと目にはさやかに見えねども、風の音にぞ驚かれぬる」――そう、秋はそっと忍び寄って、不意に肩をたたく友に似ている。

長い夏休みが終わり、何かとあわただしい一時期がすぎた頃のある日、街を歩いていて、頭の上で街路樹の葉がサラサラと鳴る音に、ふと心ひかれることがある。

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