2011年上海外国语大学日语研究生考试翻译部分
甲州の御坂峠の頂上に、天下茶屋という、ささやかな茶店がある。
私は、九月の十三日から、この茶店の二階を借りて少しずつ、まずしい仕事をすすめている。
この茶店の人たちは、親切である。
私は、当分、ここにいて、仕事にはげむつもりである。
天下茶屋、正しくは、天下一茶屋というのだそうである。
すぐちかくのトンネルの入口にも「天下第一」という大文字が彫り込まれていて、安達謙蔵、と署名されてある。
この辺のながめは、天下第一である、という意味なのであろう。
ここへ茶店を建てるときにも、ずいぶん烈しい競争があったと聞いている。
東京からの遊覧の客も、必ずここで一休みする。
バスから降りて、まず崖の上から立小便して、それから、ああいいながめだ、と讃嘆の声を放つのである。
遊覧客たちの、そんな嘆声に接して、私は二階で仕事がくるしく、ごろり寝ころんだまま、その天下第一のながめを、横目で見るのだ。
富士が、手に取るように近く見えて、河口湖が、その足下に冷く白くひろがっている。
なんということもない。
私は、かぶりを振って溜息を吐く。
これも私の、無風流のせいであろうか。
私は、この風景を、拒否している。
近景の秋の山々が両袖からせまって、その奥に湖水、そうして、蒼空に富士の秀峰、この風景の切りかたには、何か仕様のない恥かしさがありはしないか。
これでは、まるで、風呂屋のペンキ画である。
芝居の書きわりである。
あまりにも註文とおりである。
富士があって、その下に白く湖、なにが天下第一だ、と言いたくなる。
巧すぎた落ちがある。
完成され切ったいやらしさ。
そう感ずるのも、これも、私の若さのせいであろうか。
所謂「天下第一」の風景にはつねに驚きが伴わなければならぬ。
私は、その意味で、華厳の滝を推す。
「華厳」とは、よくつけた、と思った。
いたずらに、烈しさ、強さを求めているのでは、無い。
私は、東北の生れであるが、咫尺を弁ぜぬ吹雪の荒野を、まさか絶景とは言わぬ。
人間に無関心な自然の精神、自然の宗教、そのようなものが、美しい風景にもやはり絶対に必要である、と思っているだけである。
富士を、白扇さかしまなど形容して、まるでお座敷芸にまるめてしまっているのが、不服なのである。
富士は、熔岩の山である。
あかつきの富士を見るがいい。
こぶだらけの山肌が朝日を受けて、あかがね色に光っている。
私は、かえって、そのような富士の姿に、崇高を覚え、天下第一を感ずる。
茶店で羊羹食いながら、白扇さかしまなど、気の毒に思うのである。
なお、この一文、茶屋の人たちには、読ませたくないものだ。
私が、ずいぶん親切に、世話を受けているのだから。
甲州御坂峠之巅,有一小茶店,名曰天下茶屋。
我自九月十三日始,租借该茶店的二楼,开始慢慢进行棘手的工作。
这家茶馆的人家待人和蔼。
我也打算暂且于此埋头于工作。
天下茶屋,确切的说,据说应叫天下第一茶屋。
近处的隧道入口处刻有“天下第一”几个大字,署名为安達謙蔵。
大概是说这周围的景色天下第一吧。
听说在此筹建茶店之时,有过激烈的竞争。
来自东京的游客,必定在此小憩。
从汽车上下来,先立于悬崖往下撒尿,之后便会发出“啊,真是绝景呀”之类的赞叹。
游客们的声音如在耳畔,我在二楼,工作苦不堪言,斜躺着,横眉冷视那天下第一的景色。
富士看起来近在咫尺。
河口湖在其脚下冷冽苍茫,碧波万顷。
哪里称得上天下第一了?我摇头长叹。
这也许是源于我不解风情吧。
我对这一风景并不感冒。
近处秋日的群山从两侧扑面而来,远处是湖水,然后苍空中是富士的秀峰,这样的布景不让人觉得掩面而羞吗?如此的布景,宛如澡堂的油漆画,戏剧的布景。
太过于刻板。
富士、其下为湖,这算哪门子天下第一,不觉让人愤然。
巧妙的有了遗憾,完美的让人生厌。
如此感觉,也许是源自我的年轻吧。
所谓天下第一的景色,必定常有惊讶相伴。
为此,我要首推华严的瀑布。
我认为华严妙不可言。
不过分奢求激烈和强劲。
我虽生于东北,但咫尺难辨的雪海荒原,实难称作绝景。
我仅认为:无缘人类的自然的精神,自然的宗教,诸如此类的东西,是美丽的景色所不可或缺的。
把富士称之为白山倒悬云云,宛如把富士当做饮酒助兴的乐子,实在难以信服。
富士乃熔岩之山。
拂晓的富士,最值得一看。
起伏的山坡,沐浴在朝日里,闪烁出棕褐色的光芒。
我反而觉得,那样的富士身姿,让人觉得崇高,给人天下第一的感受。
茶店里,一边吃着羊羹,一边觉得白山倒悬之类的比喻,甚是可怜。
需补充的是,此拙文,到不希望茶馆的人看到。
因为我这承蒙相当亲切的关照。