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日本近现代文学复习资料整理

一、问答1、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」出処は・明治時代における最大のベストセラー:学問のススメ(福沢諭吉)2、福沢諭吉代表作:学問のススメ、西洋事情、文明論之概略3、明治初期戯作文学代表作家と代表作:仮名垣魯文(がながきろぶん)(最後の戯作者)「万国航海西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)」(十返舎一九「東海道道中膝栗毛」)、「牛店雑談安愚楽鍋(あぐらなべ)」(式亭三馬「浮世風呂」を模した)3、近代戯作代表作家:柳亭種彦、為永春水4、明治時期二文星:饗庭篁村(あえばこうそん)、須藤南翠5、翻訳王:二葉亭四迷、森田思軒5、最初の翻訳小説の成功:丹羽純一郎「欧州奇事花柳春話」6、自由民権の宣伝を小説的形体のものに試みた最初のもの・政治小説の嚆矢:「民権講義情海波瀾」7、三大政治小説8、近代最初の詩集、最初の詩抄:丸家善七「新体詩抄」9、徳富蘇峰主宰した雑誌「国民之友」(時代の思想を反映した第一の雑誌)10、日本最初の近代的文学論「小説神髄」、その実践となる小説「当世書生気質」(坪内逍遥)11、写実主義の徹底:二葉亭四迷の「小説総論」、近代写実小説の先駆け「浮雲」12、言文一致体完成(到達点)、写実主義の最高傑作:「多情多恨」(尾崎紅葉)13、近代日本最初の純文学結社:硯友社(尾崎紅葉を中心)14、日本最初の純文学雑誌「我楽多文庫」(機関誌)15、浪漫主義全盛を招来(曙を告げる)、日本近代詩の最初の芸術的完成、開花を告げる:島崎藤村「若菜集」16、森鴎外の評論雑誌「柵しがらみ草紙」(讲义上写的しらが草紙是错的)、最初の評論「小説論」ドイツ三部作17、初めて西欧詩の芸術的香気を日本に伝え:「於母影」18、近代最初の本格的な文学論争:森鴎外と坪内逍遥「没理想論争」19、初期浪漫主義を代表する雑誌、30年代浪漫主義運動を導き出す原動力:「文学界」20、北村透谷の代表作:『厭世詩家と女性』(恋愛至上を高らかに宣言した)『楚囚之詩』『内部生命論』(山路との論争の一応の帰結論文。

人間内部に宿る生命の重視)21、明治の恋愛小説の双璧:「金色夜叉」、「不如帰」22、徳富蘆花名作:『不如帰』(問題小説)『黒潮』(社会小説、トルストイの筆致に学んだ)23、自然主義の先駆者:国木田独歩「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」24、近代小説家として唯一とも言うベキ徹底的な浪漫主義者:泉鏡花『照葉狂言』は鏡花の『たけくらべ』25、泉鏡花の神秘的作風の最高作品:高野聖26、観念小説として最も代表的な作品:「書記官」(川上眉山)、「夜行巡査」27、深刻小説代表作家と代表作:広津柳浪「変目伝」等28、詩壇二星:島崎藤村、土井晩翠29、藤村の二絶唱:秋風の歌、千曲川旅情の歌30、藤村、晩翠並立時代以降の詩壇の第一人者:薄田泣菫31、明治時代唯一の象徴詩人:蒲原有明「春鳥集」32、明星派の歌風の一頂点:与謝野晶子「舞姫」33、短歌革新の第一声:正岡子規 歌論「歌よみに与ふる書」(万葉調と写生を推称する)34、自然主義文学の方向・性格を決定した作品、私小説の始まり:田山花袋「蒲団」35、夏目漱石に明治の最初の小説と激賞され、日本文学最初の本格的な自然主義の小説:島崎藤村「破戒」37、ゾラ風の最初の写実小説:「初すがた」ゾライズム屈指の作品:『はやり唄』38、生まれながらの自然派:徳田秋声(特色「無理想・無解決」)39、川端康成は近代日本の最高の小説と辞した:徳田秋声「縮図」40、「蒲団」を徹底した作品:岩野泡鳴「耽溺(たんでき)」41、岩野泡鳴の五部作『放浪』『断橋』『発展』『毒薬を飲む女』『憑き物』42、正宗白鳥の文学の特色:懐疑性、観念性、虚無性;代表作「何処へ」、第一創作集「紅塵」43、自然主義文学の命題:「自己主張・内面発見・事実尊重・自己真実」45、鴎外の歴史小説:乃木大将の殉死から、初の『興津弥五右衛門の遺書』殉死『阿部一族』安楽死『高瀬舟』史伝もの『渋江抽斎』三、文芸用語(*処、随意)啓蒙思想:1)文明開化のスローガンのもとに封建的諸制度、因習・偏見を打破し、先進国家欧米の近代思想を普及させようとした指導的思潮は啓蒙思想と呼ばれる。

啓蒙思想によって、欧米諸国を模範し、人間平等・自主独立・自由民権・科学知識尊重の精神を鼓吹し、新時代に指針を与えた。

啓蒙思想の特色:第一に主知主義;第二に自由主義;第三に実用主義。

2)明六社は、啓蒙思想をもとに、明治という新社会においての実利主義的主張をして、歴史的意義を持った。

福沢諭吉の『学問のススメ』はその代表作の一として、よく読まれた。

『学問ノスヽメ』は近代社会における学問論・教育論・社会論。

明治時代における最大のベストセラーとなった。

明六社:1873年(明治6年)7月にアメリカから帰国した森有礼が、福沢諭吉・加藤弘之*(中村正直・西周・西村茂樹・津田真道・箕作秋坪・杉亨二・箕作麟祥)らとともに同年秋に啓蒙活動を目的として結成。

名称の由来は明治六年結成からきている。

主知主義:人間の精神(魂)を「知性・理性(理知)」「意志・気概」「感情・欲望」に三分割する見方の中で、知性・理性の働きを(意志や感情よりも)重視する哲学・神学・心理学・文学上の立場のこと。

知性主義とも。

戯作文学:明治初期、滑稽本や人情文など江戸末期文芸の伝統を継承して書かれたものを小説類をいう。

代表作家と代表作:仮名垣魯文(がながきろぶん)(最後の戯作者)「万国航海西洋道中膝栗毛(せいようどうちゅうひざくりげ)」「牛店雑談安愚楽鍋(あぐらなべ)」政治小説:1)明治10年代から20年代初頭にかけて、自由民権運動とともに作られた、政治意識を啓蒙するための小説。

政治小説は自由民権運動の挫折とともに衰退していた。

2)第一期は自由党結党(明14)後、17年その解党に至るまで。

第二期は明治18年以後、23年国会開設に至る期間。

3)第一段では、最初は個人の理想の小説、やがて政党の理想の小説。

第二段では、第一段と重なっているが、国権意識の顕著な小説。

4)三大政治小説。

写実主義:1)社会の実情や人間心理をありままに映そうとする文学的立場だ。

2)明治18年、坪内逍遥は日本最初の近代的小説論『小説神髄』を発表、江戸時代の勧善懲悪の否定し、小説はまず人情を描くべきで世態風俗の描写がこれに次ぎと論じた。

『小説神髄』は日本で初めて近代的な文学理念とされた。

それをもとに、逍遥は『当世書生気質』(とうせいしょせいかたき)を書いたが、劇作調を脱しきれなかった。

3)明治19年に発表された二葉亭四迷の『小説総論』は写実主義の徹底的なものと言われた。

そして、言文一致体の言文一致体:1)文章を話し言葉に近づけて、近代日本の思想、感情を自由的確に表現できるための文体革命運動。

西洋にルネサンス以後継起した近代文体革命に匹敵し、日本の近代文化・文学の発達にとって極めて重要であった。

2)言文一致体の作品:二葉亭四迷……「だ調」『浮雲』山田美妙……「です調」『夏木立』『胡蝶』尾崎紅葉……「デアル調」『多情多恨』『多情多恨』は言文一致体を完成させた。

擬古典主義:1)明治18年から36年ごろまで、国粋主義的な風潮によって、井原西鶴を手本とする傾向が現されて、擬古典主義的な小説が出てきた。

2)代表作者:尾崎紅葉:『多情多恨』『金色夜叉』;幸田露伴:『五重塔』二人とも過渡期の代表作家であった。

硯友社:1)明治18年2月に創立、尾崎紅葉を中心とする明治中期の文学結社。

同年5月、機関誌「我楽多文庫」創刊。

紅葉、山田美妙らの文士集団。

2)近代日本最初の純文学結社で、「我楽多文庫」が近代日本最初の純文学雑誌である。

紅露時代:1)紅葉と露伴の活躍した時期は「紅露時代」と呼ばれた。

2)恋愛描写を中心とする尾崎紅葉らの硯友社の文学と、理想を求める男性芸術家を描いた幸田露伴の作品は明治20年代を代表する文芸とされている。

3)二人とも写実主義の手法で小説を書いた。

4)紅葉の作風は客観的、写実的である。

露伴の作風は、主観的である。

紅葉は風俗小説。

露伴は理想小説。

紅葉は女性描写。

露伴は男性像の創造にすぐれている。

浪漫主義:1)明治22年から38年ごろまで、浪漫主義が誕生した。

主に芸術思想を中心、古典主義や合理主義的啓蒙思想への反動と、思想感情の奔放、永遠への憧憬を基調にしていた。

(语法错误。

)2)明治20年代初期、写実的な硯友社小説に対して、森鴎外や幸田露伴は浪漫主義的先駆的な作品が発表された。

それから、北村透谷や島崎藤村ら「文学界」と、国木田独歩ら「民友社」が本格的に浪漫主義的傾向を現した。

3)代表作者と代表作品:森鴎外『舞姫』;島崎藤村『若菜集』;北村透谷『内部生命論』(文学評論);樋口一葉『たけくらべ』;国木田独歩『武蔵野』(随筆集);泉鏡花『高野聖』*4)当時、時代の閉塞感のため、ある人たちは内面の発見を注目し、だんだん外の権威を対抗し、内の権威を永遠のものとして求めて始めた。

その自我の肥大と形而上的なものへの憧憬が、必然的に新しい自然観・人間観・恋愛観・文学観などが導き出されてくる。

その結果、透谷の典型的なように、現実の束縛をも無視し得なかった。

心に自我や永遠の自由に酔い。

背理(浪漫的アイロニー)の前に行動を停止して佇むか、ディレッタントの群れに加わるか。

没理想論争:1)時間:明治20年代人物:坪内逍遥・森鴎外拠点:「早稲田文学」(逍遥)・「しらがみ草紙」(鴎外)主張:坪内逍遥:没理想――作者の主観を排して無心に事象を描写すること。

記実を重んずる実証的文学論。

森鴎外:没理想を反対して、芸術を美的な理想の具現であるとする理想派。

結局:森鴎外が勝利。

3)過程:一般に没理想論争は、まず「前哨戦(ぜんしょうせん)」があり、それが本格的な論争に発展したと見られている。

明治24~25年、前哨戦であった。

発端は逍遥のシェクスピア評語に対して、鴎外がその概念のあいまい、文芸の本質、ジャンルの性格論から批判を始めることであった。

そうして、八か月にわたる大論争であった。

それは、逍遥の記実を重んずる実証的文学論と、鴎外のドイツの哲学者ハルトマンを後盾にして、談理を重んずる立場からの文学論の対抗であった。

鴎外は芸術における理論と理想を強調する立場であった。

文学界:1)明治26・1月創刊。

透谷を実質的な指導者にし、自我解放を欲求して、30年代の浪漫主義運動原動力になった。

2)初期浪漫主義を代表する雑誌。

北村透谷『内部生命論』、樋口一葉『たけくらべ』、島崎藤村の叙情詩などを掲載。

雅俗折衷体:雅語(みやひやかな言葉)と俗語(日常の言葉)を取り混ぜた文体。

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