花木蘭花木蘭という女性が男に扮装して軍隊に入り国を救った話は、中国では誰もが知っている物語である。
千年以上経った今も救国の女性として中国人民に誉め称えられ、教科書でも取り上げられている。
この物語は多種の版本があるがいずれも無名氏(=読み人知らず)が作った<木蘭詩>から、作者が自分で想像を加えて作り上げた話である。
ホアムーラン花木蘭(1)今から約1500年前(日本の大和時代に当たる)、即ち三国時代末から北魏の時代にかけて各地で戦乱が次々と起こった。
北方からは異民族が侵入し、中国国内でも次々と王朝が変わった。
中国古代の兵家によると、中国の中原地方(黄河流域)は必ず奪うべき地域で、中原地方を支配すると中国全土を支配することが出来ると言われていた。
だから中原地方では戦禍が絶えなかった。
この物語は山水の景色が清らかで美しい中原地方のある小さな村から始まる。
村には花(ホア)という姓の両親、姉、ムーランと弟から成る五人家族があり、畑を耕したり、機(はた)を織ったりして楽しく暮らしていた。
父は戦争で負傷した傷の養生をしていた。
ムーランは毎日布を織り、それを売って得た金で家計を助けていた。
ムーランは小さい時から父に武芸を教わって、弓を射ることや刀や棍棒を使うことなど、武芸なら何にでも精通するようになっていた。
ある日突然機織りの音が止んだ。
ムーランは機織り機の前でぼんやりして溜め息をつきながら、独り言を言った。
「ああ、どうしたらいいんだろう。
また北方から敵が侵入して来たといううわさだから皇帝陛下は徴兵なさるだろうけど、入隊できるのは男だけ。
この家にはまだ傷の治らない父と幼い弟しかいない」一家は皆悩んでいた。
自分が男だったらどんなにいいかとムーランは思っていたが、12通の召集礼状全部に父の名前が書かれていた。
ムーランは考えに考え抜いた末、自分が男装して父に代わって入隊することを決心したのだった。
両親にこのことを告げると、彼らは「おまえのの親孝行はありがたいが、女が入隊なんてできるはずがない。
敵陣深く突入することだってできないだろう」と言って、彼女の申し出に反対した。
ムーランは自分で長い髪を切って男の髪形にし、父の甲冑を着て鏡を見た。
そして自分の甲冑姿をうっとり眺め、満足したように微笑んだ。
何日もかかってとうとうムーランは両親を説得し、父に代わって入隊することに賛成してもらった。
それから早速東西南北の市場を回って、足の速い馬、鞍そして弓矢を買ってきた。
出発の朝、両親は、「戦場では勇敢に敵と戦うように。
そして戦いを終えたら一刻も早く家に帰って、元の娘に戻って嫁に行ってほしい」と言い付けた。
ムーランは両親に体を大切にするように、また姉と弟には両親の面倒をよく見るようにと伝えた。
そして涙を流しながら馬に乗って辺境に向かった。
花木蘭(2)夜は黄河の岸辺に野宿した。
両親が自分を呼んでいるのかと目を覚ますと、それは両親の声ではなく、黄河が雷の如くごうごうと流れる音だった。
ムーランは空の星を仰ぎながら、「この世に戦争がなければどんないいか。
でも、これからは勇気を奮い起こして国のために力を尽くし、必ず敵を滅ぼさなければ」と私情を打ち消した。
こうしてさまざまな思いを抱きながら眠りに落ちていった。
翌日黄河を渡り、何日もかかって辺境へたどり着いた。
沿道は家族で着の身着のまま南方へ避難する人たちで一杯だった。
黒山頭に近づくにつれ時折敵の馬のいななきが聞こえ、その度に敵を倒す決意を新たにした。
ムーランは山あり谷ありの長旅で疲れてはいたが、辺境の兵営に到着すると早速陣中のテントを尋ね、この地を統括する李元帥に謁見した。
ムーランは父宛のの召集令状を差し出して挨拶したが、李元帥はてっきり父親に代わる息子だと思い、快く受け入れてくれた。
翌日には武芸の試合で隊長を選ぶことになった。
ムーランは弓の名手だったので、三回連続矢が的の中心に当たると皆盛んに喝采を送った。
次は馬上技芸の試合だった。
ムーランの相手は司馬という隊長であったが、彼は威丈夫だし槍の技法も熟練していたので、力が弱い自分としては知恵を使って勝つしかないとムーランは考えていた。
30回目にムーランは、司馬がぐっと突いてきた槍を払い除けると、すぐにこの槍を掴んで引っ張ったので、司馬は落馬した。
ムーランはすばやく馬から下りて、落ちた司馬隊長を助け起こした。
司馬隊長は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になったが、ムーランの機智に大いに感服した。
三つ目は兵法の試験だ。
李元帥はムーランに兵法について質問すると、ムーランがすらすらと答えたので非常に満足した。
そして、「君は本当に知勇兼備の人だ。
これから君に数人の新兵を預けるから、訓練を任せよう」と激励した。
ムーランは兵士たちと苦楽を共にし、祖国のために今何を成すべきかを説き、兵法の訓練にも労を惜しまなかった。
兵士たちは皆この年若い隊長を尊敬し、慕うようになっていった。
ある日間諜が来て告げるには、敵軍の大将であるハラハが大軍を率いて攻め寄せて来るということだった。
李元帥は即刻全軍に対し敵軍を迎え撃つよう下知を飛ばした。
ムーランの隊には陣地を守るよう命令が来た。
花木蘭(3)李元帥はハラハの陣の前に立ち、「何故わが国を侵略しようとするのか」と叫んだ。
ハラハは「天下の土地は誰のものでもない。
それを我らが支配して何が悪いか。
片腹痛し」と、あざ笑うように答えた。
李元帥はその身勝手な言い分に非常に立腹して、ハラハと60回も刀を交えたが、決着はつかなかった。
ムーランは兵営で様子を伺っていたが、一向に進展しない様子に苛立ち始め、何か良い方法はないものかとあれこれ考えた。
「そうだ。
この手でいこう」と、部下を引き連れ出陣した。
突然、ハラハの陣営の背後から山をとどろかすような鬨(とき)の声が上がった。
ムーラン軍が大挙してハラハの背後を突いたのだからたまらない。
ハラハ軍は総崩れとなり、散り散りになって北方へ逃げて行った。
李元帥の軍は兵営に凱旋した。
ムーランは直ちに陣幕の中で鎧を解いている李元帥の元へ赴き、自分の隊の単独行動を詫びた。
「元帥の許可なく勝手に出撃して申し訳ありません。
私の一存でやったことですから、どうか何なりとお咎めを」しかし、李元帥はムーランの活躍に大変満足していたので、感慨深げにこう答えた。
「いやいや、隊長の機転で敵は退散したのだ。
かたじけない。
今日の戦いの一番の功労者は君だ」そして部下に祝杯の準備を命じた。
宴たけなわにさしかかったとき、突然ハラハ軍が襲撃して来た。
ところが四方から味方の兵士がこれを取り囲んだので、ハラハ軍はそのまま退散せざるを得なかった。
実は李元帥はハラハ軍の襲来を予想して、一部の兵士に酒に酔った風に見せかけて、兵営の四方を守備するよう命令を出してあったのだ。
ムーランは、勢いに乗って追撃しようとしたが、李元帥から、「窮鼠猫を噛むという言い伝えのとおり、窮した賊を追い詰めると待ち伏せに会い、逆にやられてしまうぞ」と止められたので、追撃を断念した。
ところがある日、李元帥が敵の待ち伏せに会い、山の谷で敵と血戦になった。
頂上にいる敵から投石があり、何人もの仲間を失った。
ムーランたちは部下の兵士を盾にして、李元帥を護衛しながら必死で戦ったが、包囲を突破できなかった。
しかも、不幸なことに司馬隊長が敵の捕虜になってしまった。
ハラハは高位高禄で召抱えるからと投降を勧めたが、司馬隊長は断固として応じなかった。
ムーランは司馬の妻に変装し、司馬に投降を勧めに行く振りをして敵の陣に赴いてはどうかと李元帥に進言した。
李元帥は見破られるのを恐れてすぐには賛成してくれなかったが、ムーランの必死の説得にとうとう決心した。
部下である勇猛な兵士100名を選び、伴として連れて行くように勧めたのだった。
ムーラン軍は敵陣に着くと、「司馬の妻でございますが、夫に投降を勧めるために参りました。
どうか夫に会わせて下さい」と何度も懇願したので、ハラハの部下は変装したムーランとも知らずムーランをハラハの御前に連れて行ったのだ。
ハラハも本来は女性であるムーランを司馬の妻と信じて疑わず、酒宴の席に呼んで勺までさせた。
それこそムーランの思う壺。
ムーランは酒を注ぐ振りをして、突然ハラハの首に帯の中に潜ませていた短刀を付きつけたのだった。
部下たちが慌てている中をムーランは、「動くな、動いたらお前たちの首長の命はないぞ。
私たちの軍が5里離れたところで、ハラハは返してやる」と言い放った。
ムーランは5里のところで待っている味方の軍と合流して、約束通りハラハを開放して、馬に乗って李元帥の元に帰った。
司馬を救出して、部下の損失もなく帰還できたことで、李元帥は大満足であった。
花木蘭(4)月日は流れていった。
春が来ると草原の草花は一斉に芽を吹き始め、夏になると短い夏を惜しむように美しい花を咲かせた。
また秋になるとそれらは強い寒風に吹き付けられ瞬く間に枯れてゆく。
冬になると山々には雪が降り積もり軍勢の行く手を阻んだ。
ムーランは草原に咲く花を見ては故郷の山水を思い、凍てつ山々を眺めては故郷の両親を案じた。
異郷の地でこのような四季の移り変わりを何回見届けたことであろうか。
戦況は一進一退を繰り返しながらも、ムーランたちの軍は徐々に失地を回復し、北方に進んでいた。
厳寒の季節が到来する頃、ムーランと兵士たちは本隊と離れて黒山頭というところに駐屯を命じられた。
近隣の百姓たちが羊と美味しい酒をもって慰問してきてくれた。
親切にも綿入れの差し入れまであった。
ムーランは真夜中でも巡回を欠くかさず、兵士に食事や綿入れを届けたりした。
兵士たちはこの若い隊長の配慮にいつも感激していた。ある日黒山頭の前の雪の谷で大勢の敵軍を発見したという知らせを受けた。
ムーランの隊は数百人しかおらず、敵の軍勢に比べ少数であることは明らかだった。
李元帥に使者をを送った後、ムーランはどのように敵を退けたらよいか思案していた。
夜の闇の中で牧羊犬の遠吠えが聞こえた。
その時とっさにムーランは敵を打破る方法を考えついたのだ。
百姓から差し入れられた百数頭の羊の尾に爆竹をつけ敵を驚かせ、敵軍勢の混乱に乗じて、攻撃を仕掛けるというものである。
爆竹に火をつけると激しい音を立てて破裂し、驚いた羊たちはものすごい勢いで山のふもとに向かって突進し、兵士たちは旗をひらめかせて鬨(とき)の声を上げながら後を追って行った。
雷鳴のような轟きが山全体にこだまし、突然険しい雪の峰が割れ、降り積もった雪が谷の方に崩れ落ちたのだ。
敵兵はこの人工的な大雪崩で雪の中に生き埋めになり、必死でもがいていた。
作戦は大成功だった。
ムーランと兵士たちは山のふもとに急行し、雪の中から敵の首領であるハラハを生け捕りにしたのだ。