文字通りの「季節の便り」と言うべきか、兵庫県丹波市の読者が送ってくださった封筒からツクシが出てきた。
日課の散歩の道すがら摘まれたようで、この春初の3本です、と手紙にあった。
或许的确应该称之为“季节的消息”,兵库县丹波市的读者寄来的信封里倒出了些芦笋,看样子是从每天坚持散步的道旁捡拾而来,并在信函中注明这是春天初始时的3支。
春の野には、食卓にのぼる草が多彩に芽を吹く。
中でもツクシはなじみが深い。
京都の懐石「辻留」の先代だった辻嘉一(かいち)さんが、そのなりを「飄々(ひょうひょう)とした超俗的な姿で、どこか悟りすましたお坊さんを思わせる」と書いていた。
走りのものは高値の食材になるそうだ。
在春天的田野里,能够摆上餐桌的野菜都长出了样态各异的新芽,其中,芦笋是比较熟悉的。
京都的怀石料理店“辻留”上一代大掌柜辻嘉一先生曾撰文描述它道,“以其飘飘欲仙超凡脱俗的外型,让人联想到有那么点完成顿悟之少东家的风范”。
据说,时鲜的东西都是些价格昂贵的食材。
ほかにもセリやヨメナ、ワラビなど、春の野山に草を摘む習慣は万葉集にも歌われていて古い。
先ごろは宮崎県の王子山遺跡から、1万3千年も前の縄文人がネギを食べていたらしい跡も見つかった。
除此之外还有水芹(Oenanthe javanica)、紫莞(Aster yomena)及蕨菜(Pteridium aquilinum)等。
春天到山野去采摘些野菜是一种非常古老的习俗,连万叶集中都有吟诵此况的诗歌。
最近,在宫崎县的王子山遗迹中甚至还发现了早在1万3千年前绳文人食用大葱的迹象。
野生種と見られ、今のノビルやアサツキに近いという。
まさか薬味ではなかろうが親近感がわく。
火を使ったらしき「炉穴」も多く、色々な植物を調理して食べていたようだ。
古代人も芽吹きの春にはせっせと草を摘んだのだろうか。
据说这是一种野生的种类,与今天的薤白(Allium macrostemon)及葱苗(Allium schoenoprasum var. foliosum)近似。
虽称不上是什么出乎意料的调味品,但仍让我对此萌发出些许亲近感。
诸多的“炉穴”说明曾使用了火来烹饪并且食用各色各样的植物,莫非古代人也在万物复苏的春天不失时机地采摘些时鲜的野菜来食用吧?
ふと小林一茶を思い出す。
〈おらが世やそこらの草も餅になる〉。
草とはヨモギだろう。
春を迎えたうれしさが一句に躍る。
時は流れて去年、〈いつ摘みし草かと子等(ら)に問われたり蓬(よもぎ)だんごを作りて待てば〉の一首が朝日歌壇に載った。
这让我想起了小林一茶,<世间处处都有宝,春到山野长蓬草(Artemisia indica var. maximowiczii),淡淡清香可利用,制作青团不能少>。
所谓的蓬草恐怕是一种艾属植物吧。
作者迎接春天到来时的喜悦之情跃然纸上。
时过境迁,去年的朝日歌坛上刊登了这样一首和歌,<何时摘的青青草?孩子担忧也不少,制作青团急等用,不知蓬草好不好?>
茨城県の野田珠子さんが詠んだのは、震災後の放射能への不安だった。
この春も、「お
らが世」とばかりに土を割る草々(くさぐさ)を、無邪気に摘めない土地がある。
つくしん坊たちの「喝」が野から山から聞こえてくる。
茨城县的野田珠子女士所吟诵的是震灾后对放射性物质的不安。
今春这些迫不及待破土而出来到“世上”的野菜,在有的地方是不能随意采摘的。
我仿佛听到了从野外从山坡上不时地传来的那些芦笋嗜好者们的“吆喝”声。
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