明けましておめでとう!新年快乐!今年もよろしくねこちらこそ!この間、雪祭り、行ってきたんだ札幌の?そう。
三好さんたちと行ったんだけど、超きれいだった!いいなぁでも、寒かった~長春ほどじゃないけどスキー、トライした?うん。
でも、滑るそばから大転倒!3分で雪まみれだよ見たかったなあ私も1月にハルピンに行ったじゃない冻死了!だから、ハルピンは寒いよって言ったじゃないでも、人気のスポットだし、ほんとにきれいで、もう感激!そうなんだあれ?やっぱり行ったことあるんじゃないさすが、長春出身!え?ないよ。
ほとんど地元なのに?うんそうそう、鈴木さんが氷のパンダに激突した!パンダ、かわいそう…私もハデに転んじゃって。
それなのに美咲ときたら、心配するのは鈴木さんのことばっかりえっ、そうなの最近ね、あの二人、すっごく仲良しなのよへえご両親から春節のカードをいただいたよ高橋さんのも来たよすごくセンスよくて感動!でしょそうだ、空手部の合宿、どこになった?沖縄!沖縄?那覇国際大と練習試合もするんだ。
マイクなんか毎日猛練習してるよ王さんも試合に出るの?さあ、どうでしょう…あ、ポップカルチャーの専門家に、沖縄は最高かもなんで?行けば分かるよ!教えて~沖縄って夜にはよく誰かの家に集まって、歌ったり踊ったりするんだっておもしろうそう!若い人も?そう!こういう習慣から沖縄のポップカルチャーが生まれたんじゃないかなああ、向こうの学生と、コンパ、することになってた!チャーンス!なんか、すっごく楽しみになってきたパフォーマンス、両方とも頑張ってね両方?そう、試合も、歌や踊りも無理だよ秧歌じゃないんだからあ、もう行かなくちゃ。
ごめん、またね!うん、バイバイ!!クレジットカードは本当に必要か(会社員23歳)クレジットカードは、今や私たちの生活にすっかり定着しています。
一人で5枚も6枚もカードを持っている人も珍しくないようです。
カードがあれば、現金を持ち歩かなくても、必要な時に必要な物を簡単に購入することができます。
また、デパートなどのクレジットカードでは、購入の額に応じてたまるポイントで商品券がもらえたり、割引料金で買い物ができたりするというメリットもあります。
しかし、便利である反面、それほど必要のない物や高額な物を値段を意識しないで買ってしまうということが起こりがちです。
実は、私は、家族や同僚からは時代遅れと言われていますが、カードを持たない、つまり現金主義者なのです。
カードを使うと借金をして買ったような気になり、支払いが済むまではなんだか落ち着かない気になるのです。
現に多くなりすぎたカードの支払いのために、サラ金などの金融業から借金をし、さらにその借金のために犯罪に走る人もあることが報道されています。
カードをめぐるトラブルは今後も絶えないでしょう。
クレジットカードが使えなくなるとしたら、不便を感じる人は多いでしょう。
しかし、カード利用者は、借金をしていることだという自覚を持ちつつ、カードを利用すべきではないかと思います。
教室でもっと発言を(大学生19歳)大学に入って、1年が経った。
今日も教室は後ろの方から埋まっていく。
この1年を振り返ってみると、いつもそうだった。
それには二つの大きな理由があるのではないだろうか。
まず、大学の教師が、学生に発言を求めることがあまりにも少ないということである。
そして、学生の方も、教師に指名されるのを恐れているのか、目立たない場所にいたいという気持ちがあるのか、いつも後ろの方の席にかたまりがちであることだ。
私は、父の仕事の関係で、高校の2年間を海外で過ごした。
そこでは一クラスの生徒数は少なく、授業はあくまで生徒中心だった。
私たち生徒は、常に授業に真剣に取り組まねばならず、教室では自分の考えや意見をためらわずに述べていた。
ところが、日本の高校では教師が一人で授業を進めている。
例えば、英語の授業では教師が教科書を読み、日本語に訳して重要な表現を説明するだけで終わってしまう。
英語の授業なのに、生徒は一言も英語を話すことがない。
さすがに大学ではこんな授業は見られないかと思ったら、信じがたいに大学も高校の延長にすぎなかった。
授業中、寝ている人や授業とは関係のない本を広げている人がいても、周りの人に迷惑になるような声で話していない限り、注意されることもない。
たしかに、日本の学校は一クラスの人数が多いので、皆が積極的に自分の意見を述べることは難しいだろう。
しかし、そういう状況の中でも、自分の意見を持ち、それを発表する勇気が必要ではないだろうか。
自分という独立した人間が、自分だけの意見を持つことで、社会の中での自分の存在を再確認できるはずだ。
自分という存在を自覚するためにも、少し勇気を出して、積極的に発言していこうではないか。
ここが日本の最南端、沖縄かあ。
あったかいなあ!海の青さといい、空気といい、同じ日本とは思えないなあ。
あ、比嘉先生!お久しぶりです。
やあ、小川君。
皆さん、めんそーれ!今年もよろしくお願いします。
那覇国際さんは、去年にも増してますます強くなったと聞いてますよ。
いやいや、東西さんこそ。
強い1年生が入ったそうじゃありませんか。
うちの大学はこのところ負けっぱなしでね。
今度の試合はお手柔らかにお願いしますよ。
じゃあ、まず腹ごしらえにこの近くの市場にご案内します。
1階で好きな食材を買ったら2階で料理してくれますから、向こうに着いたら各自食材を選んでください。
おす!お兄さん、何がいい?んー、魚、食べたいんですけど、よく分からなくて…それなら、いろんな種類をちょっとずつ選んだらどう?これとこれと…。
あ、そうだ。
それから、あと、このイラブーも。
えっ、こ、これ、食べられるんですか。
もちろん!これ、海蛇ね。
イラブー汁にするとおいしいんだよ。
海蛇?!いやあ、いいっす…。
じゃあ、これは?ハリセンボン。
こうなる前の姿がこれね。
ぎゃああ!お客さんたち、どちらから?よかったら、これ、味見してってよ。
それから、ゴーヤーチャンプルーの作り方教えてあげるから、こっちいらっしゃい。
わーい、ゴーヤーチャンプルーだあ!はい、材料は、ゴーヤー、卵、鰹節、島豆腐、ポーク缶詰、それと調味料。
ゴーヤーって、「苦瓜」とも言いますよね。
中国では発音は違いますけど、同じ漢字を使うんですよ。
へえ。
それに、島豆腐って中国の豆腐に似てますねえ。
きっと両方とも中国から伝わったんだろうな。
ああ、そうかもね。
じゃあ、炒める前に下ごしらえね。
ゴーヤーは縦二つに切って、中の種を取ったら、薄切りにする。
そして、島豆腐は手で大きくちぎっておく。
ポークは厚さ5ミリぐらいに切って、と。
うん!これ、懐かしい味!こらこら!卵は器に割ってよく混ぜておく。
はい、下ごしらえは終わり!さあ、ここからは自分たちでやってみる?はい!まず、熱したフライパンに豆腐を入れて、よく火を通して…はい。
最初に豆腐を炒めるんですね。
で、豆腐に火が通ったら、それを皿に取り出しておいて、それから、フライパンをそのまま強火にかけて、ポークを入れて、炒める。
豆腐を炒めたあとはポーク、と。
はい。
それから、ゴーヤーを入れて、よく炒まったら軽く塩を振って、味付けね。
砂糖は入れないんですか。
そう。
やまとの料理には何でも砂糖を入れちゃうんでしょ。
砂糖が入っていないのが沖縄料理の特徴なんだよ。
へえ、それも中華料理とちょっと似てますね。
中華料理と日本料理が混じったのが沖縄料理なのかなあ。
それとアメリカ料理もね!最後に鰹節と卵を入れて混ぜて、火が通ったらできあがり。
わあ!あいしそう!冷めないうちに食べよう!お待ちどおさま!あれ、大山さんは?さっき青い顔して戻ってきて、先にホテルに行ってるって。
えっ、そうですか。
どうしたのかなあ…結婚して二年目くらいのことだったと思うけれど、僕は半年くらい「主夫=ハウスハズバンド」をやっていたことがある。
そのときはなんということもなくごく普通に毎日を送っていたのだが、今になってみるとあの半年は僕の人生の最良の一ページ出会ったような気がする。
もっともその当時はとくに「主夫」をやろうと志していたわけではなく、たまたまちょっとしためぐりあわせて、女房が仕事に出て僕が家に残ることになったのだ。
もうかれこれ十二、三年前、ジョン・レノンが「主夫」をやって話題になる以前の話である。
「主夫」の日常は「主婦」の日常と同じくらい平穏である。
まず朝七時に起きて食事を作り、女房を仕事に送りだし、かたづけものをする。
流しの中にある食器はすぐに洗ってしまうというのが家事の鉄則のひとつである。
それから普通なら新聞を読むか、TVを観るか、ラジオをつけるかというところだが、僕はそういうことはやらない。
何故ならその当時我々は無形文化財的に貧乏で、ラジオもTVも買えず、新聞をとる金さえなかったからだ。
だから家の中には何もない。
金がないと生活というのはおどろくくらいどシンプルになる。
世の中には「シンプル・ライフ」というブランドの洋服があるが「シンプル・ライフ」のことなら僕の方がずっと詳しい。
朝食のかたづけが済むと洗濯をする。
とはいっても洗濯機がないから、風呂場でぐしゃぐしゃと足と踏んで洗っちゃうわけである。
これは時間はかかるけれど、なかなか良い運動になる。
そして干す。
洗濯が終わると食事の買い物に行く。
買い物とはいっても冷蔵庫がないから(それにしても貧乏だなあ)余分なものは買えない。
その日使うものだけを余りの出ないように買うわけだ。
だからその日の夕食が大根の味噌汁と大根の煮物としらすおろしなんていう状況もかなりの頻度で現出し得るわけである。
こういうのを「シンプル・ライフ」と呼ばずしていったい何と呼べばいいのだろう?買い物のついでに「国分寺書店」に寄って本を売ったり、安い古本を買ったりした。
それから家にかえって簡単に昼食をとり、アイロンをかけ、ざっと掃除をし(僕は掃除が苦手なのであまり丁寧にをやらない)、夕方まで縁側に座って猫と遊んだり本を読んだりしてのんびりと過ごす。
なにしろ暇なものだから、僕はこの時期だけで、「講談社・少年少女世界名作全集」を読破したし、『細雪』なんて三回も読んだ。
あたりが暗くなってくるとそろそろ夕食の仕度である。
米を洗って炊き、味噌汁を作り、煮物を作り、魚を焼く用意をして女房が仕事から帰ってくるのを待つ。
帰ってくるのはだいたい7時前だが、時々残業なんかで遅くなることもある。
でも――今さらことわるまでもないだろうが――家には電話がないので、連絡はつかない。
だから僕は魚を網の上にのせたまま、女房の帰りを、「……」という感じでじっと待っているわけである。
この、「……」というのはたぶん日常的に経験したことのない方には分からないだろうけど、かなり微妙な種類の感興である。